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2008年3月

バンナナと殿様

P3260341 3月31日(月)  

けふのうた

晴れの日が危うき日となる原点に辿り着きたり四十年経ち

毎年ピアノのステージで失敗することは前に書いたが、NHKの大河ドラマ「篤姫」を見ていてひょんなことからトラウマとなった出来事に思い至った。

ここ何年も大河ドラマは見ていなかったが、今回は主人公が女性ということと宮尾登美子の原作を読んでいたことから面白く見続けている。筋もさることながら衣装がすばらしい。篤姫の美しい内掛け姿を見ていたら、ふと5年生の学芸会での失敗を思い出した。

「バンナナと殿様」という劇で私は奥方の役だった。母の嫁入り衣装のピンクの花柄の着物を内掛けにして殿様の横に座り、献上されたバンナナを殿様が食べようとするのを止めるはずだった。

ライトが当たってカーッとなりすっかり上がってしまった私は肝心のところで「お殿様、お食べになってはなりません」というせりふを言い忘れてしまった。口を開けてしばらく止めてくれるのを待っていた殿様もついに待ちきれず食べてしまった。止めても最後は食べてしまうという話なので幸いにも劇が中断するという混乱はなかった。

今もはっきり覚えているのは赤や緑のセロハンを貼った照明器具と、その光を浴びながら舞台からジーッと照明の方向を見つめている自分の姿。あの時迷惑をかけたお殿様のT君は今どうしているだろう。

今日で3月も終わり。浅間高原は雪の朝です。

名残雪しきり降る朝救急車のサイレン響き父の顔浮く

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春韮

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   けふのうた

鋏入る瞬間に顕(た)つ韮の香は待ちにし春の精気満ち満つ

前栽の韮が芽を出し一晩の雨でぐっと大きくなった。春韮に会うとなぜか陶淵明の詩を思う。「春の雨上がりの朝、庭に韮を切る」という内容の詩だが鋏を入れた瞬間にたつ韮の香は春の到来を感じる。

陶淵明は田園詩人といわれているが、実際はなかなか官職に就けず、反骨精神を持ちながら自分を受け入れぬ世を離れて田舎暮らしをした人でもある。若い女の子がなぜそんな彼に惹かれたのか。私もやや世をすねた気分があるのだろう。子供のころ一人で野山を歩くのが好きだったのもそんなところから来ているのかもしれない。これもDNA?

誰しもそんな気持ちはあるがそこをなんとか折り合いをつけて生きている。昨今立て続けに起こった若者による無差別殺傷事件は、自分の思うようにはいかない境遇をいかに受け入れていくかを模索する前に、短絡的に考えてしまう今の若者と、そういう若者にゆっくり悩む時間も与えない今の社会の仕組みが不幸な出会いをしてしまった気がしてならない。

奇しくも今日は3月30日の日曜日。昔こんな歌があったっけ。

「3月30日の日曜日。パリの朝に燃えた命ひとつ~フランシーヌ~」

陶淵明とフランシーヌの共通点?無理やり結びつければ無くもないかも・・・。

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猫用パンパース

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  けふのうた

おむつ着け滑るがごとく部屋中を走るたんちゃん笑みてながむる

以前「夜なべ仕事」で書いたが、あれからたんちゃんは一日中オムツをして床暖にベターッとへばりついて気持ちよさそうだ。

パンパースはさすが人間の赤ちゃん用に開発されただけあって横漏れなし、吸収量たっぷり、表面さらさらで以前のようにお尻がビチョビチョになることはない。値段も安いので気楽に替えて一日4,5枚は使う。それでもおむつ代は半分だからありがたい。たんちゃんもママもどっちもハッピーと思ったらひとつ落とし穴があった。

赤ちゃん用を猫用に変える作業は結構手間がかかる。まず穴を開けるのに外カバー、中間の吸収体、内側と3段階に分けて切らなければならない。そして切り口から吸収剤がこぼれないようにマスキングテープを貼る。これでOKと思いきやマスキングテープはなぜか内側には張り付かない。もうひと手間アロンアルファーで貼りつけてようやく完成。

週に2回このオムツ製作の仕事が加わった。それで節約できるのは月3000円。う~ん?でもこれでたんちゃんの快適な生活が保障されるのならがんばってやり続けなければ・・・これも親の務め?

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    けふのうた

うれしくも悲しくも出づる涙なり心の襞のかそか震へば

きのうは「天声人語」に涙があふれた。がんで余命いくばくもない先生が生徒たちに「命の授業」をするという話だった。近頃とみに涙もろくなった。きっかけは「冬ソナ」だっただろうか。

鼻の奥がジーンと来たらスイッチオン。滂沱の涙となる。特に悲恋もの、動物ものに弱い。最近は人の温かさはもちろんのこと何気ない言葉でも心の襞が震えることが多い。NHKの朝ドラを見ては涙を流しあきれられている。以前はこれほどではなかったのに・・・年を重ね身も心もゆるんできたのだろうか。

涙を流すと心がスーッとして心地よい。カタルシスというらしい。悲しくてどうにもならない気持ちも流し去ってくれる。これも神様のご配慮だろう。

日本ではこれまでずっと人前で泣くことがはばかられる感があった。特に男性が人前で泣くなんてもってのほか。悲しみは内に秘めるというのが日本の文化だった。

以前大韓航空機爆破事件で乗客の家族の嘆き悲しむ映像を見て驚いた。地面に倒れこみ手足をばたつかせて泣き叫ぶ姿に、いくら悲しくてもそこまでしなくてもと違和感すらおぼえた。しかしそれが韓国の文化なのだ。

人間の基本的な感情を押さえ込むことは不自然なこと。世界の大方の人たちは私は悲しいと泣いて人に伝える。日本人もようやくテレビカメラの前で男性が泣けるようになった。いいことだ。

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DNA その2

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 けふのうた

損増せど株を止めざるわが性はDNAのなせる業かも

3月は多くの会社の決算期だ。混沌とした世界の経済情勢に翻弄されわが家のささやかな資産も大きく目減りしている。

雪国の慎ましやかな農家に生まれ「贅沢は敵だ」と戦中のスローガンのような中で育ったおかげで物欲はさほど強くない。糖尿病で食欲は制限され性欲ももはや涸れ・・・というとまるで仙人のようだが3年前の株ブームにはまった。ところが始めてわずか2ヶ月で下降局面に入りこの2年間税務署に損失を申告し続ける羽目となった。

「俺のいう通りさっさと手を引いておけばここまで損が膨らまなかったのに・・・」と夫には時折ちくりと責められるが止めない。正確には株価が回復するまでは止められない。

デイトレ派の私は買って少しでも上がると売りたくなる。売買が成立するかしないかのドキドキ感がたまらないからだ。その日の最安値で買えたり最高値で売り抜けたときなどルンルンだ。それも一瞬の喜びなのだが・・・。ほかの事では結構辛抱強いのだが株は例外らしい。

これは4代前の政吉じいさんからのDNAだ。この爺さんはわが家の中興の祖と聞いている。人の何倍も働いた豪傑だというが「豪傑・・・を好む」で賭け事も大好きだったらしい。

人生最大の賭けは「結婚と出産」。どちらもすぐに結果の出るものではないところがいいような悪いような・・・?

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ナツメロ

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   けふのうた

失ひし青春の十年取り戻さむ動画サイトのナツメロに酔ふ

YouTubeで真理ちゃんを見つけて以来はまってしまった。高校生までは歌番組がたくさんあったしフォークの全盛期だったので寝ても覚めても歌、歌、歌の日々だったが、学生時代はテレビもプレーヤーなかったし、合唱やギターに夢中だったので意外にポピュラーからは遠ざかっていたのだ。

就職するやのんきに歌っていられる状態ではなかったので’75~’85までは歌の空白の期間になっている。サザンやユーミンなどのニューミュージック、聖子ちゃんなんかもそうだ。

今改めて聞くといい歌がたくさんある。メロディーはまあ覚えているが歌詞がまったく入っていない。となると歌えない。ありがたいことにこのサイトにはそういう歌がいっぱいある。

これでこの空白が埋められるぞと喜んだのもつかの間、これがなかなか・・・。若いころは一度聴けばメロディーは覚え二度聞けば歌詞も覚えられたのに・・・なんと記憶力の低下したことか。何度歌ってもなかなか歌詞が覚えられない。はからずも老いを自覚させられてしまった。

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DNA その1

P3110255_2    3月25日(火)  

    けふのうた

反発せし父と同じく大声に今日も歌ひぬ心ゆくまで

歌いたくなればいつでもどこでも歌う。お風呂は当然、トイレでも、歩きながらでも、時には布団の中でも・・・気に入った歌は壊れたプレーヤーのようにエンドレスで歌う。多少は音量調節はするが基本的には大音量。

こんな人が身近に居たら迷惑な話だがこれ我が家の話。迷惑をこうむるのは夫。大音量のエンドレスプレーヤーはもちろんわ・た・し。

これはDNAのなせる業。父も母も歌っていた。さすがに母は大声では歌わなかったが父は所かまわず大声だった。体系も性格も父に似ている私はこういう自己チューのところもそっくりだ。

同極の磁石が反発するように子供のころ父の性格が嫌いだった。母はおおらかで精神の位置が高かった。どこか世俗を超えたようなところがあったが、そのせいか早くにこの世から離れていってしまった。

父はきっと世俗のこと以外考えたことはないだろう。よく働きお金を貯めるのが趣味。楽しむなんて罪だと思っている。母は楽しむために働くという人だったから正反対だった。

私と弟は父のそういうところに反発したのか働くことがあまり好きではない性格に育ってしまった。過ぎたるは及ばざるが如し?

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ハナミズキ

9a8825a32b11f12650d2l 3月24日(月) けふのうた

二十年咲き続けたる花水木の胡蝶の乱舞今は幻

我が家の庭にこの春ぽっかりと空間が生まれた。大きな白ハナミズキの木が枯れて伐られたのだ。

この木は22年前家を建てたとき真っ先に我が家に来た。紅と白を植えたのだが紅は数年小さな花をつけただけで枯れてしまった。

残された白は紅の分まで元気に成長し毎年胡蝶が乱舞しているような見事な花を咲かせてくれていた。しかしあまりに大きくなるのでこのところ毎年剪定され見事な花は隔年となってしまった。

それが昨春の花を最後に急に衰えを見せ始めた。強い剪定のせいではないかと密かに思ってはいたが、木の担当ではないので口には出さなかった。切られて弱ったところに去年の暑さが拍車をかけたのだろう。

最近、一青 窈の「ハナミズキ」が「9・11同時多発テロ」をきっかけに生まれたことを知った。いい歌なのにその個性的なメロディーと歌詞がなかなか自分のものにならなかった。

「憎しみの連鎖を断ち切り愛を広げていこう」という歌詞の意味を理解し、やはり覚えておきたい歌だと思いフロオケのナンバーに入れた。

ちなみにハナミズキの花言葉は「返礼」。

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春曉

2008011516162001    3月23日(日)  

   けふのうた

しきり鳴く小鳥の声に目覚むれど再び眠りに落つる春曉

この時季の朝の天気は目覚めたときに小鳥が鳴いているかどうかで分かる。チチチチッという鳴き声に起こされ、またさえずりを聞きながら眠りに落ちてゆく心地よさ。まさに「春眠暁を覚えず」。

半分眠りながらできた歌は「孟浩然の春暁」の前半の世界。中国の大詩人も日本のオバサンも大して変わらないもんだなあと思いながら再び眠りに入る。

中学生の時初めて出会った漢詩が「春暁」。もちろん読み下し文で、「春眠暁を覚えず・・・」と習った。その文語体の心地よさと詩の世界の分かりやすさで漢詩が好きになった。本来は中国語で声に出して読んでこそ本当の詩の世界を楽しめるのだろうが漢字のおかげで読めなくても詩の世界は理解できる。

卒論も漢文にしようかと迷ったが・・・。それから約30年経ち生の中国語に出会う機会を得た。始めて3年、ピンインという中国語の振り仮名もマスターしたのでようやく声に出して読めるようになった。残念ながらここでは四声を表記できないが太字を強く上げ気味に読んでみてください。

  春暁      (チュンシァ

春眠不覚暁 (チュンミェ ブーヂエ シャ

処々聞啼鳥 (チューチュー ウェ テーニァ

夜来風雨声 (イェラ フェンィー シェン

花落知多少 (ファールォー ズィー ドゥォーシァ

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花粉団子

P3180312 3月22日(土)  けふのうた

両足に花粉団子を携えて花から花へ忙し(せわ)花蜂

我が家の庭に今盛りのクロッカス。陽が射し花が開きだすと真っ先に訪れるのは花蜂。一匹だとさほどではないが数匹集まるとその羽音もなかなかの音量でにぎやかだ。

どの蜂も足に黄色い花粉団子を抱えている。よく見るとせっせと花から花へと移動していくものは大きな団子を抱えているし、のんびり屋さんのは少し小さめ。蜂も人も同じだ。

花蜂は人を刺さないから近づいても大丈夫と接写しようとするがこれが動くものだから結構大変。花にもぐっているときがチャンスとシャッターを切れば花粉まみれで姿が不明瞭。なかなかいい写真を撮らせてくれない。唯一姿がはっきり撮れたのがこれ。

これから水仙、チューリップと次々に咲いて蜂たちも大忙し。そうなれば浅間高原も春本番だ

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真理ちゃん

8a10 3月21日(金)  

けふのうた

わが思ひ受け止めくるる人ありて一人じゃないって素敵なことね

天地真理を懐かしく思い出す人は40代半ば以上の人達だろう。'70年代前半に大ブームを巻き起こした。白雪姫といわれ「水色の恋」「虹のむこうに」「ひとりじゃないの」など明るい歌声に愛らしい笑顔は当時の男の子ならずともあこがれた。

何で突然天地真理?と訝る方もおありでしょう。実は昨日の砲丸おむすびの続き。

ブログに載せようと再現した砲丸おむすび。せっかく作ったのだしお天気もいいから外で食べようと11時ころ急遽ミニハイキングとなった。湯川のほとりに立つと春の日差しが川面にきらきらしていて、なんか独り占めするのがもったいなくて一首作ってめったにしない携帯メールを出した。

母を偲びながら砲丸おむすびを食べ(さすがに一個でおなかいっぱい)、湧き水に見つけた芹を摘み帰路に着くと突然の着信音。普段携帯を使わないからおろおろしながら開けると先ほどの返信。うれしく読んで携帯をしまうと同時に「ひとりじゃないって~すてきなことね~」と口をついて出てきた。もう何十年も歌ったことがないフレーズが突然に。悲しいかなそのフレーズしか歌詞が分からず繰り返し歌いながら歩いた。

帰ってPCで検索するとなんと動画サイトに真理ちゃんがいっぱい。その晩のフロオケはご想像通り18歳の乙女に還ったアヤちゃんの「真理ちゃんメドレー」でした。

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砲丸おむすび

P3180302 3月20日(木)  けふのうた

叶わぬと知れど食べたし今一度母の手塩の砲丸むすび

今日は彼岸の中日。

数日前「初めてぼた餅を作ってみた」という友のメールになつかしい母の手料理を思った。

母はよく言えばおおらか、一歩違えば大雑把という性格で料理は大胆で何でも大きく沢山だった。料理はぴったりではいけない。余るくらいでちょうどいいという人だった。

ぼた餅はお店で売られているものの倍どころではない。大きすぎて周りのあんこの部分を食べてもまだご飯が残ってしまうという代物だった。

おいなりさんも油揚げの口が閉まらないほど酢飯が詰まっていて、お店のものは今でも物足りない。

極めつけはおむすび。二つの茶碗にご飯を盛り、片方に梅干や味噌漬けをおいてお茶碗をあわせて振るときれいにまん丸になる。当然一個でご飯二膳分だ。それをしっかり握って海苔で包むとまるで砲丸。小学校時代の遠足には必ず二個もたせられた。ほかにおかずはなし。一口どころか二口三口食べても中の梅干や味噌漬けに到達しないのだから結構つらかった。

そのうち時代の流れで母のおむすびもだんだん小さくなり、丸から三角となって、おかずもつくようになった。しかし今にして思えばあれには「娘が遠足でおなかがすいてはかわいそうだ」という母の愛がたっぷり詰まっていたのだ。

今日は一日供養のつもりで母のピアノを弾こう。 

☆写真は母のやり方で作ってみた再現砲丸おむすび。母のものより一回り小さい気がするが、ちょうど海苔一枚で包めたからやはりこの大きさだったのだろう。子供のころは大きく見えたのだ。

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継続は力

P3170299 3月19日(水)  けふのうた

一晩に熟成せるや昨夜(よべ)かくも苦しきフレーズあっさり弾けり

ピアノを弾いていると必ずぶつかる問題なのだが、ある一箇所がうまく弾けずなかなか曲が完成しないことがある。もちろん弾く側に問題があるので作曲者に文句を言う筋合いではないのだが、いくら練習しても身につかないと、ついつい凡人は非を他人に転嫁しがちである。

しかし神様は愛ある方で努力を続けると時間の長短はあるが必ずできるようにしてくれる。そこまでモチベーションを維持できるかどうかはその人の能力なのである。

私の友達の娘さんですばらしいピアニストの卵がいるが、彼女いわく「天才は1パーセントの才能と99パーセントの努力だ。そして努力をするのも才能だ」と。「1パーセントの才能」があるとなしとではまったく違うと思うが・・・。

大学の授業などそれこそ99パーセント忘れているが、わずかな記憶に「学習は正比例曲線ではなく階段状に伸びてゆく」というものがあったような気がする。

一生懸命がんばっていてもなかなか点数に表れないと生徒は気力が萎えるがそこで踏ん張って続けるとある時すっと成績がよくなることがある。「だからめげないで頑張ってね」と塾の生徒には言い続けた。

これは自分でも実証済みだ。だから一曲完成するまではどんなに時間がかかろうとやり通す。またそういう曲はいつまでも持ち続けられるからうれしい。だが悲しいことにこれも弾きつづけないとさっと取り上げられる。神様はそんなに甘くはない。

今日で2ヶ月達成しました。読者の皆様の支えあればこそです。これからも引き続き励ましてください。

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白馬の君

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   3月18日(火)  

    けふのうた

夕闇を白馬を駆りてくる君に逢ふ夢抱き梅林を去る

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16日(日)安中市の秋間梅林に行ってきた。下界はもう春本番だ。毎年1回は必ず行くのだが今年は5分咲きというところだった。山の上の日当たりのよいところはちょうど見頃、下の北斜面はまだ蕾が膨らみ始めたところだ。紅梅は白梅より早く見事に満開だった。

初めて秋間を訪れたのは20歳の誕生日だった。そのときからすでに33年。今古木のような木もそのころはまだ若かったのだろうと思うとわが身になぞらえて感慨深い。

我が家に春を告げる福寿草も秋間を訪れるたびに6株ずつ買ってきては庭のあちこちに植えたものだ。

訪れるたびに思う。一度でいいから夕暮れの梅林に立ってみたいと。薄闇に花の白さと香りが際立ち、えもいわれぬ風情があると思う。そこに白馬の君が・・・井上靖の「額田王」のワンシーンなのだが、私の中では梅林と白馬は切っても切れないものになっている。

「そんなに居たいならこのまま置いていこうか?」とは夫の言。それも困るので焼きたてのやきもちを抱いて心引かれながら帰ってきた。

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まんさくと雪椿

P3090228 3月17日(月)  けふのうた

(し)み渡りの朝に会ひたる雪椿つぼみの紅を母に届けり

公民館の庭にまんさくの花が咲いていた。春一番に咲く木の花だ。

子供の頃3月になるとわくわくしたものだった。学校の帰りの音楽が「どこかで春が」になり雪が降っても春なんだとうれしかった。

前日に晴れると翌朝は凍み渡りができる。一面の雪野原は解けた雪の表面が固まって、どこまでも歩いてゆける。学校へも近道してゆけるし一列に並ばず自由に歩いてもいいのだ。

凍み渡りの日が日曜日ならば朝ごはんを食べて一人で裏山に行く。大きな木の周りは雪が解けていて、押しつぶされていた雪椿の枝がつややかな緑の枝を伸ばしている。はやぷっくり膨らんだ蕾が紅色を覗かせていたりするとわくわくして枝を折って帰ったものだった。

まんさくの花は「豊年満作」とか「まんず(まず)咲く」からきているようだが、私は「まんず咲く」説が好きだ。

まんさくの花に子供のころの早春を思い出した。

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フロオケ三昧

P3110252 3月16日(日)  けふのうた

フロオケに今宵歌ふは高橋真梨子少しあなたに甘えたいから

私の気分のバロメーターはフロオケ。自然に歌が出る日はハッピーな日だった証。演歌、歌謡曲、唱歌、フォーク、シャンソンとその日の気分でアットランダムに。

最近よく歌うのは高橋真梨子。少しかすれた声に大人の女を感じさせる抜群の歌唱力が魅力だ。

「五番街のマリー」「ジョニーへの伝言」のころはまだ若かったので歌詞の意味などあまりよく考えずに歌っていたが、この年になると言葉ひとつひとつが沁みてくる。「あなたの空を飛びたい」「for  you」にいたっては自分の体験と重なって泣きたくなるほど。

お風呂で身も心もリラックスし大きな声で歌うと生きている幸せを感じる。夜も10時過ぎになることが多いが心広いお隣さんで心置きなく歌っている。実際はあきれて文句も言えないのかもしれないが・・・?

考えてみると私の1日に音楽がないときはない。最近はMP3のおかげで散歩のときも聴けるし。音楽は神様からの贈り物、わたしの歌好きは父母からの贈り物。

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早春浅間高原 野の花(2)

P3090240 3月15日(土)  けふのうた

一瞬に冬の衣を脱ぎ捨てり沸き立つお湯に触れしなずなは

「なずな 菜の花 名もない野花・・・」(谷川俊太郎)

春の七草のナズナがペンペン草と同じだと知ったのはいつだったろう。

ナズナを食べる習慣は雪国にはない。雪解けとともに道端やあぜ道にまず顔を出すのはふきのとう、浅葱。そのうち山の雪が解ければウルイ(ぎぼうし)・うど・ぜんまい・蕨と山菜が続くのでナズナなんてどんなものやら知らなかった。

夏になって花も終わり実がついて、ようやくペンペン草として意識するものだった。三角の実が三味線の撥に似ていることからついた名前らしいが。

信州に来てまだ寒風吹きすさぶ畑にナズナ摘みに行こうと誘われ、ようやく食べるナズナを知った。まだ枯れ色で土にへばりついているので初めてのときはなかなか見つけられなかったが、そこは山菜採りで鍛えた目、今では少しくらい離れていてもすぐ見つけられる。

枯れた葉やごみを取り除き熱湯に入れると一瞬にして土色の葉が鮮やかな緑色に変わる。まるで魔法にかけられたようだ。

肥沃な畑には立派なナズナが育つが、いくら雑草とはいえ他人の畑のものは採りづらいので、人に笑われながらも庭に種を振りまいて早春の味を楽しんでいる。写真のナズナはもちろん撮影後初物としておいしくいただいた。

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新芽は祈りの形

P3080224 3月14日(金) けふのうた

掌を合わせ春の訪れ祈るごと硬土(かたつち)割りて芽吹く水仙

乾燥してかちかちになった土を割ってゾクゾクと水仙の芽が出てきた。「冬の間ずっと土の中で祈っていました」といわんばかりに合掌したような新芽に感動する。

「新芽はすべて祈りの形をしている」という友の短歌に出会って以来、新たな気持ちで芽吹きを見るようになった。どんな芽にも祈りのエネルギーが満ち満ちていると感じる。

その芽が次第に伸びそのうちとんがり帽子を被った蕾が顔をのぞかす。ぐんぐん首を伸ばして上を向いていた蕾が突然こくんとうなづくと花の時。同じ方向を向き黄色・オレンジ・白の花がまぶしい光を放つように咲く日が待ち遠しい。

「春」は「張る」という言葉から来ているという。昨日の検査の結果はいまひとつだった。気持ちを張って今日からまたがんばろうっと。

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マイ バースディ

P3120260_2    3月13日(木) 

   けふのうた    

ほんのりと薄紅色の花開く杏のごとき日々送りたし

P3130271 今日はマイバースディ。53回目37歳?の誕生日。何それ?もう若年性~の始まり?

実はこれ53✕0.7で計算した数字。「人生50年時代」は日本人の歴史の中でずいぶん長かった。その基準で考えればもう晩年の感があって、寿命が大幅に延びた今も、案外その意識は日本人のDNAに深く刻み込まれているらしく「もう五十だ、人生終わりだ」的な気持ちになりやすい。

しかし現実はいやでも男性は大方80歳、女性にいたっては90歳近くまで生きなければならない。まだまだゴールははるか彼方なのだ。日野原重明先生は「75歳から老人と呼ぼう」という「新老人の会」を立ち上げていらっしゃるが、気力も体力も資力も下降するあと40年をどう生きるか、これこそが大問題。

そこで現実が変わらないのなら見方を変えようということで「人生七掛け」説で37歳ってわけ。これはきっと男性の寿命を基準にしているはずだから女性は「六掛け」でいいんじゃない?と思って計算したら、な、なんと今日で31.8歳。いくら面の皮が厚くなったオバサンとていくらなんでもと不採用。やっぱり「七掛け」でいきましょう。これでも外見はとても無理ですが・・・。

「もう~才」はやめて「まだ~才」というだけでも元気が出そう。

「アヤちゃん、37歳の誕生日おめでとう。」パチパチパチ!!

上の写真は杏。お友達が誕生日に間に合うようにと丹精してくれました。ちゃんと咲きましたよ、謝謝。

☆下の写真は今朝テーブルの上にあった夫からのプレゼント。猫ちゃんプリントのお財布とブローチ。コマウォヨ。

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陽炎

P3110250_2 3月12日(水)  けふのうた

息をつめ耐えゐし大地伸びをして深呼吸せむ陽炎の立つ

一昨日の突然の雪が大地を目覚めさせたかのような朝靄、そして陽炎。春の訪れを実感する現象です。

我が家の南にある畑もいよいよ作業が始まりマルチシートが敷かれました。冬の間寒さに耐えようやく深呼吸できた畠土もまた息を詰めなくてはなりません。なんか気の毒なような・・・。

でもマルチングは雑草が生えない、乾燥を防ぐ、泥撥ねがないなどいろいろな面ですばらしいものなのです。

我が家の前方の分譲地に建築中の2軒の家も完成に近づきました。まだこれから何軒か建ち景観も変わるでしょうが、いましばらくは平尾山が窓全体に見えて晴れ晴れとした気分は味わえそうです。

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春の淡雪

P3100241 3月11日(火)

淡雪が陽炎となり消えゆけりわが裡なる恋心ならむ

日曜日の暖かさに春の訪れを実感したのもつかの間、きのうの朝は久しぶりの雪。空で細かい雪を作るのが追いつかないのかと思うほどの綿の塊のような雪が落ちてくる。しかしそれもいつしか雨になってしまった。まさに春の淡雪。そのあと陽が射してもうもうとした陽炎となって空に帰っていった。はかない恋を思わせる美しい風景にしばし見とれた。

淡雪を見ながらニュースやワイドショーで報道されている高校の校長の脅迫メールのことを思う。彼の行為はもちろん非難されるべきことだが、一歩譲って彼の気持ちを思うとなぜかせつない。自分がその年代になって思うのだが、56歳、男の最後の純粋な恋心だったのではないか。

少し前新聞に5,60代の恋の話が特集されていて胸に落ちた。女性は現実に適応してゆく能力があり、いつまでも終わった恋を引きずることは少ないが、男性は純な気持ちを持ち続けているらしい。ストーカーに断然男性が多いのもその表れだと思う。

しかし彼に自分のおかれた立場を考えるという大人の分別も育っていなかったのなら・・・なおさら切ない。

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レタス植え付け

P3090235 3月10日(月)   けふのうた

春霞む浅間嶺遠く眺めつつ早も始まるレタス植え付け

春本番を思わせる暖かさに誘われて散歩を兼ねてブログのネタ探しに出かけた

普段車で通り過ぎるだけの場所も歩くとまた違った風景に出会えて新鮮だ。御代田町の中でも家や電柱にじゃまされず浅間山の全容が見られる場所はそうないが、かりん道路から北を望むと早春の浅間がゆったりと裾野を広げた風景に出会う。

もう今年の農作業が始まったらしく老夫婦がレタスの植え付けをしておられたのでお断りして写真を撮らせてもらった。

これから裾野は一面のレタス畑となり浅間山もまた違った顔を見せる。

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早春浅間高原 野の花(1)

P3080207 3月9日(日)  けふのうた

石垣の陽溜りにはや咲き集ふいぬのふぐりの空色小花

日差しに誘われ散歩兼買い物に出かけた。風は幾分柔らかくなり空も薄青くなって春を感じる。

かさかさに乾燥した土にわずかな草の緑が春を告げている。この時季は雑草までも愛おしい。それが花でもつけていようものならつい足を止めて言葉をかけてしまう。

きょうはオオイヌノフグリの花に出会った。オオイヌノフグリは春一番に愛らしい青い花をいっぱい咲かせてくれて大好きな花。私はひそかに「野原の星」と呼んでいる。

それなのにせっかくの可愛い花に注目せず、実が犬のオチンチンに似ているところから名づけるなんて、命名者は一体どういう神経してるんだろうと毎年思う。花がかわいそう・・・。

これから可愛い野の花が次々と咲いて散歩の楽しみが増える。

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ダルニー奨学金

P3070187 3月8日(土)  けふのうた

今いかにありやと見つむひたむきな瞳に写るタイ奨学生

お天気に誘われサボっていた家事をしようとまずはゴミだし。次に雑誌の整理をとパンパンに膨らんだファイルを開くとそれはダルニー奨学金の文書だった。

1992年の新聞で見かけた記事がきっかけだった。当時タイ東北部の農村では貧しくて中学校に通えない子供が多かった。なんとかそういう子供たちに勉学の機会を与えたいと奔走する「日本民際交流センター」の秋尾氏の記事だった。年1万円の奨学金で一人の子供の人生が開けるという言葉に心打たれた。

「ダルニー奨学金」という名称はそのきっかけを作ったダルニーちゃんという女の子の名前から名づけたという。

年に一回奨学生の写真と身上書が送られてくるが、年々しっかりした顔つきになっていくのを見るのもうれしい。わたしなどただお金を振り込むだけだが、提供者の中には個人的に手紙のやり取りをしたり、ツアーが企画されて会いに行ったりとより積極的に援助している人もいる。奨学生が希望すれば高校進学まで、そして個人的にはもちろんその上まで出してあげられる。

今はタイもめざましく発展したが日本同様都市と農村部の格差はより拡大し、両親が出稼ぎに行く準孤児家庭が増えているという。センターの活動も隣国のラオス、カンボジアの小学生支援まで広がっている。

興味のある方は御一報を。奨学生証書はやはり処分できずそのまま元に戻した。

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早春浅間高原

P3040172 3月7日(金) けふのうた

朝もやに頂見する浅間嶺の藍に染まりて春の気配す

朝寝室のドアを開けると真っ先に浅間山と会う。今日はどんな様子か、その色合いでその日の天気や季節の変化がわかる。

冬の間はきりりとしまった表情だが、このところ空気が柔らかくなって山の色が薄藍色になる日がある。ああ2,600メートルの浅間山頂にもかすかな春の足音が聞こえているんだろうなあと思う。

だが浅間高原の住民はこれから歯がゆい思いの日々が続く。ニュースではあちこちで、やれ菜の花が咲いた、梅が満開だ、桜が咲き出したと、春の大きな足音を聞くのだが、浅間高原ではまだしばらくその音は小さいままだ。

それでもきのうスーパーで湧き水に育つ芹を見つけた。鍋に入れる大きく育った栽培芹ではなく、まだ小さな新芽が出たばかりの根ごと食べる春の使者である。そろそろ私の春探しのふらふら病の虫が動き出しそうだ。

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夜なべ仕事

P3050185 3月6日(木) けふのうた

夜なべして手袋編みしは歌の中われは夜なべにオムツを作る

かわいいオムツ姿のたんちゃんを以前紹介しましたが、実は結構オムツ代がかかるのですよ。

犬猫用はそんなに需要がないのでコストがかかるのは仕方がないとはいえ、諸物価高騰の折、何とか節約したいと思っていたところ、ひょんなことから新生児用の紙おむつと猫用SSサイズがまったく同じだと分かりました。

「赤ちゃんの握りこぶし」で紹介したママが「試しに使ってみたら?」と下さったので早速シッポの穴を開けてさせてみたところ、なんとピッタシカンカン。

ラッキー!これで経費節約と喜んだのもつかの間、開けた穴から動くたびに高分子吸収剤がぼろぼろこぼれるではありませんか。当然のことながら製品はちゃんとそのあたり考えてあるのです。

それではとマスキングテープで穴の周りを花びらみたいに張ってみたら可愛いオムツの出来上がり。さてこれでうまくいくかな?なにせ100枚も買ったのだから・・・。これから毎晩「母~さんは夜なべ~をしてオムツ~を作ってくれた~」の日々です。

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はなぴーのお土産

Hanapy 3月5日(水) けふのうた

飛び移る小鳥を追ひて駆け回る猫は遊んでほしいだけなの

春めいた日が多くなると、猫たちは外での活動時間が長くなる。はなぴーはよく道向かいの原っぱで駆け回ったり木に登ったりしている。我が家はコタツがないので「猫はコタツで丸くなる」ということもなく、まるで犬のようだ。

好奇心が人一倍強い彼女はときどき枕元でぼりんぼりんと音を立ててすずめやねずみを食べることがある。真冬でもねずみをくわえて来たことがあって、一体どこで?と不思議に思ったことだ。褒めて欲しくて持ってくるのでむげに叱るわけにもいかず・・・。

そろそろ夜明けが早くなって猫の活動開始時間が早まる。自分で洗面所の二重窓を開けて出て行き、遊んでは獲物をお土産に・・・という日々が多くなるだろう。これからは朝起きたら真っ先にねずみとご対面なんていう心臓に悪い日が多くなりそうだ。

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寒さ緩んで気もゆるむ?

3月4日(火)けふのうた

春めきて少し頭も春めけむ日がな一日水を流しぬ

昨日のひな祭りは春を実感する暖かな日だったので、久しぶりに私が屋根のソーラー温水器に水揚げをした。こんな日に1日上げておくとずいぶん温かくなっていてうれしい。これで灯油代節約となるはずだったのだが・・・。

あまりに久しぶりの水揚げでシステムをすっかり忘れてしまったらしくバルブがひとつ開いたままだった。8時間というもの上がった水は下り続け家の周りに流れておりました。〆て1ヶ月分のお風呂の水を1日で使ってしまいまった。

またきのうに限っていつもより遅くお風呂の用意をするという二重の不手際。どこが省エネ?われながら情けないやらくやしいやら・・・。今ですらこんなことではもう少し年取って頭が緩んできたら一体どうなるのか。それとも、はや緩んできたということか?あな恐ろしや!!

もちろん帰ってきた夫に報告するやいなや叱られた。でもそのあとの言葉がうれしかった。「交通事故にあったわけでもなし、火事になったわけでもなし。大したことではないよ」カムサハムニダ。

忘れられないひな祭りとなった。

その後新たな事実が判明。閉めてあったはずのバルブが閉め方が甘くて凍り付き完全に締まっていなかったらしい。前日締めたのはもちろん夫である。

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チョー緊張

Img_3241_4    3月3日(月)  

    けふのうた

 緊張と失敗の過去に懲りもせず年に一度のステージに立つ 

P3030165_3 昨日第4回あつもりピアノリレーコンサートが開かれた。これは御代田町民なら年齢、性別、巧拙、美醜?を問わぬありがたいコンサートで第1回から出演している。下は3歳から上は70代まで50人ほどが日ごろの練習の成果を披露すべく演奏するのだが、私は第1回を除いてここ3年というものまともな演奏をしたことがない。

昨年は速い曲で失敗したので今年はゆったりした冬ソナの「初めて」を選んだ。昨晩はとってもうまく弾けたのに・・・今回も出だしから躓いた。これが今の実力なのだとまたしても思い知らされる。

今年は例年にも増して始まる前から緊張していた。のどは渇くわ、口の中は苦いわ、汗はかくわ・・・でもまあこんな緊張はめったに体験できるものではないし、だらけきった日常に喝を入れるには必要なのだと思うことにしている。

「もう今年で止めたら?」夫は毎年言うのだが、そんなありがたい?忠告には耳を貸さず、さあ来年に向けて練習開始!

今日はひなまつり。手作りのお雛様におひたし用の菜の花をかざってお祝いです。

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おにいちゃん紹介

Oniichan 3月2日(日)

こんにちは。僕は ノビ太。通称おにいちゃん。ママなんかオニオニって呼ぶんだよ。

ぼくは冒険が大好きさ。しょっちゅう外に出ているからいつもうっすら汚れてる。白いところがきれいなときは「おにいちゃんってイイ男」っていいながらママはキスしてくれるけど、汚れて帰ってくると真っ先に体をふかれちゃうんだ。

これがちょっと苦手なんだな。だけど拭いてもらわないとママのひざに乗せてもらえないから我慢するんだ。

うちの女たちなみんなキツイんだぜ。特にはなぴー姉さんなんて僕の顔さえ見れば戦闘体制なんだからまいっちゃうよ。おちおち横になってもいられないよ。でも姉さんが二階でお昼寝してるときは安心して寝られるから、まあいいけどね。

パパもママも僕のこと可愛がってくれるけど、特にパパはよく「男同士」っていって抱っこしてくれるんだ。今度の出張に出かける前も「オニイ、たのんだぞ」っていうから「任してにゃー」っていって送ったんだ。

妹のたんちゃんは怪我をしてかわいそうだけど汚れた僕をなめてくれて、やっぱり兄妹だね。はなぴー姉さんなんて絶対そんなことありえないもん。

でも僕たちより先に来たんだから、一応立てているんだよ。それにぼくは男だから、いちいちうるさい女たちに付き合っちゃいられないよ。

じゃあニャー!

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MP3

3月1日(土) けふのうた

春風に揺るる柳に戯れて共に歩みし君は何処に

中国語を勉強中のオバサン二人、ヤマダ電機にMP3なるものを買いに出かけた。教室のほかの生徒たちとは聞き取りの能力にかなりの差があると自覚している二人、何とかせねばというのでとにかく聞く時間を増やそうということになった。

MP3はパソコンと接続するものとばかり思って覚悟して行ったのだが、幸いにもオバサン仕様でCDプレーヤーから直接録音できるとのこと、思わずニッコリ。

さて喜んで買ってきたのはいいのだが一人では不安なので我が家で箱を開け、まずは充電からと取説を見れば完全充電には2時間もかかるとのこと。お茶でも飲んで少し充電するのを待ちましょうとおしゃべりしていれば30分なんてすぐに過ぎちゃう。

さて録音開始とCDプレーヤーとつなごうとすれど合う穴が見つからず・・・。「ねぇ、お店の人は確かにつなげるっていったよね」と言ってみてもしょうがないので片方のオバサンはすぐにお店にTEL 。ただいま接客中というので折り返しのTELを待っている間に解決した。なんと充電ケーブルで録音しようとしていたのだ。こんな調子でオバサン二人ああだこうだといいながら何とか録音ができた。

翌日早速イヤホンを耳に挿し、中国語を聞きながら歩いてあちこち用を済ませ一石三鳥。なんか時代の先端にいる気分。うれしくてさらにハングルを入れたり、ショパンを入れたり・・・入れるだけで身についた気分。しかし実はこれでようやくスタートラインにたっただけ。さて成果のほどは??

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