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2008年5月

社協評議委員

P5270740    2008年5月31日(土)

      けふのうた

老いゆくと知れどその道遠く見え眠さこらえて見る決算書

水曜日に社会福祉協議会の評議員会があった。2年前の9月に突然社協から評議員会があるので印鑑持参で出席せよとのはがきが来た。

どうして私にそんなはがきが来たのか分からなかった。部屋に入ると偉そうなおじさんやおばさんさんがずらり。何か場違いなところに来た感じ。その日はとにかくひたすら眠気をこらえながら説明を聞いていた。

終わるとなんと報酬が出た。印鑑ってこのためだったんだ・・・。今まで会議に出て報酬なんてもらったこがなかったのでなんか違和感。

後でわかったのだが私が評議委員になったのは公民館関係の代表として館長の推薦だったらしい。以来年3回の評議員会にでるほか社協主宰の大会や講演会に呼ばれる。それまで福祉関係のことにはほとんど関わらなかったので仕組みも知らなかった。

そう遠くない将来私もお世話になるはずだ。この機会にありがたく勉強させてもらうことにした。でも報酬にはまだ違和感があるなあ。これで宝くじ買ったら3億円ならぬ罰が当たっちゃうかな?

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一病息災

P5270752   2008年5月30日(金)

    けふのうた

ひとつ病と仲良くしつつそれなりに楽しき日々を送りてゆかむ

水曜日に2ヶ月ごとに通う糖尿病の検査にいってきた。ピアノ同様こちらも13年の付き合いだ。実は立派な糖尿病と宣告されて運動せねばと通ったエアロビ教室でピアノの先生と出会ったのだ。

今回はヒヤヒヤもんだった。今年になってHb(ヘモグロビン)値が上昇傾向になっていたから。平常値は5.8までだが前回は6、6だった。その上4,5月は何かと楽しいことがあって外食が多かったし、足先の痺れと冷えが顕著になってきていたのできっと悪化しているだろうと覚悟していた。

恐る恐る聞くと「この前より少し下がっていますよ」。事情を話すと「じゃあ、次回に現れるかもしれませんね」。過去2~3ヶ月の生活を如実に示すHb値だけはごまかしが利かないのだ。

私の場合は生活習慣というより遺伝なのでなおさら始末がわるい。あまり体重を落とすとケトン体なるものが出て栄養状態の悪化を警告するので、栄養は摂ってもカロリーは抑えなければならない・・・その兼ね合いが難しい。

長い付き合いの中でその妥協点を探る日々だ。でもたまには何も考えずに思いっきり食べてみた~~い!

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ノクターン

P5190726   2008年5月29日(木)

     けふのうた

はつ夏の風に奏づるノクターン想ひ届けよ逢へざる君に

2ヶ月ぶりにピアノに行ってきた。わがままな生徒で2,3ヶ月に1度しか伺わないが寛容な先生のおかげで何とか13年続いている。

先生は教室で教える傍ら教会の結婚式や披露宴、パーティーでも演奏している。さらに研鑽にも励んでいる姿には頭が下がる。

生活の中心はピアノだけれど玄関やお部屋をいつも季節に合わせて美しく飾って生活をエンジョイしている。それに比べてわが生活は・・・はい、ハンセーイ!のポーズ。

今はショパンのノクターンに没頭している。先生のところにうかがうようになった初めのころ、あこがれの「変ホ長調作品9の2」を必死の思いで弾いたがそれ以来だ。

今回お借りしたノクターン集のCDには夢のような美しい曲がいっぱい。「ああ弾きた~い」と思えど楽譜を見ただけでノクターンにノックダウンされそうだ。

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二輪草

P5180699     2008年5月28日(水)

     

   二輪草          けふのうた

白き花ふたつ並んで二輪草青葉の風に仲良く揺るる

久しぶりに友達と長電話をした。彼女とは高校の同級生(そのころは顔しか知らない)であり大学の同じ科で学生番号も前後ろだった。

私の周りにはお一人様が結構いるが、彼女は今のところキャリアウーマンの正統派お一人様を貫いている。

私のようにふっと気が抜けて仕事をやめた者からするとずっと仕事を続けている人は輝いて見える。その陰には苦労や悩みが多いことはもちろん承知しているが・・・。

彼女も優雅なお一人様ではない。新潟に両親がいるが25年前に倒れたお父さんをずっと介護していたお母さんに数年前から痴呆の症状が現れ、休日ごとに東京から新幹線で通う遠距離介護を続けている。それには頭が下がる。

そのうえ責任ある仕事に悩みは尽きず、ストレスでメタボの悩みも加わり「三重苦だよう~!」と叫んでいた。そんな彼女がいつか二輪草のように好きな人と寄り添って暮らせることを願っている。

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お楽しみ保険

P5190712           

     2008年5月27日(火)

 花後のオキナグサ      けふのうた

明日など分からぬ身ぞと常日頃言ひつつ十年の保険に入る

保険の契約をした。10年前に契約したものが満期を迎えたのでささやかな利息はいただいて元本をまた預けた。だが今度勧められたのは元本保証変額保険。このまま経済情勢が低迷し続けても10年後元本だけは保障してくれる。もし運よく好転すればかなり大きくなって返ってくるらしい。バクチ好きな私にはピッタリ?

勧誘員とともに支部長さんが来て説明してくれた。目新しい説明はなかったがリスクを伴うことを承知した上で契約することが義務付けられたかららしい。

私は日々リスクフルな株と戦って(負けて)いるので慣れているが、中には10年預けて1円も増えないなんて理解しがたい人もあるだろう。

いつの時代でも明日生きている保証はない。命あるものは必ず死ぬとは誰でも分かっているが「まあ、さしあたって明日は大丈夫だろう」と都合よく思えるから人は生きてゆけるのだ。これで10年後の楽しみができたぞ。

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からたちの花

P5190711_2    2008年5月26日(月)

     けふのうた

D51の雄姿も知りぬ柔らかき棘陰に白きからたちの花

からたちの花が咲いたよ~白い白い花~が咲いたよ~

むかしからこの歌が好きだった。からたちの花って白いらしいけどどんな花なんだろうと思っていたらようやく数年前に逢えた。残念ながら今年はもう盛りが過ぎて散り始めていた。

そこはしなの鉄道の前身信越線がスイッチバックだった頃の古い御代田駅の道端。昔は有刺鉄線の代わりだったのだろうか。

花が咲く頃は棘もまだ柔らかく白い一重の花は可憐に咲いていた。駅がそこにあった頃は道向かいには郵便局があり多くの人でにぎわっただろう。だが今は人通りもあまりなくからたちの花を気に止める人もいないかもしれない。

駅跡地にはD51も展示され有志が手入れをして時折公開している。からたちの花はそのD51が白い煙を吐きながら走っていた頃からずっと御代田を見つめている。

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鹿の訪問

P5180703    2008年5月25日(日)

      けふのうた

山に向かひ今回だけよと鹿に告ぐ豆の新芽は跡形もなし

有線放送でツキノワグマが下りてきているので山菜採りに山に入る人は注意してくださいといっていた。

我が家の山の畑はさすがに熊の訪問はまだないが、イノシシと鹿の訪問はたびたび受ける。今年の初訪問者は鹿だった。

事前にキャップで芽出しして山の畑に植えた大豆苗のやわらかな本葉がきのうは見事に消えていた。そばには訪問者の足跡がくっきり。

しかし鹿も賢い。完全に下から食べないのだ。まだもう一度芽が出る可能性を残してある。考え方によっては少しは遠慮しているとも取れるが、穿った見方をすれば再度食べる可能性を残しているともいえる。

このあと何回の訪問があるのだろう。取りたての枝豆でビールというささやかな贅沢も今年は幻になるかも?

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帮宝适(パンパース)

P3120258       2008年5月24日(土)

            けふのうた

漢字とは偉大なる文字奥深き言葉の森の戸間口に立つ

中国語を始めて3年半。この年になると覚えるより忘れるほうが多い。このところ土曜日に用がかさなって先週は一ヶ月ぶりの教室だった。出席者が少なかったので復習もかねての作文が主だった。

我猫正在穿着帮宝适、在房間里走去走来呢。

(wo mao zhenzai quanzhe bangbaoshi zaifangjianli zouqu zoulai ne)

これはたんちゃんのことがテーマで、「うちの猫はパンパースを穿いて部屋の中を行ったり来たりしている」という意味である。

パンパースは中国語では「帮宝适(適)」(bangbaoshi)。「宝物である赤ちゃんの心地よさを手助けする」という意味でもあろうか。パンパースという音と意味をうまくあわせた訳だ。もちろんこの言葉は先生に教えていただいた。

発展を続ける中国には日々新しい言葉が入ってくる。それを逐一漢字訳するわけだが、時には音訳のみで字を見ただけでは何やらさっぱり分からないというのもあるが、意味と音の両方がバッチリマッチする訳に出会うと「う~ん、さすが!」と感心する。「幇宝适」もそのひとつだろう。

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青い麦

P5180707    2008年5月23日(金)

      けふのうた

吹く風になびく麦穂の波陰にかそかに見ゆる遠き日の君

我が家の前に見える畑は今年は麦畑になった。今は丈が伸び青い穂が風に揺れている。この季節の麦畑は私を青春の日に誘う。

学生時代の下宿「福寿荘」の後ろには麦畑が広がっていた。部屋代は9000円で当時前橋の学生下宿としては高かったが、築2年目でベッドや机、ロッカーが付いていたので結局4年間そこにいた。

窓から見える麦畑は田んぼしか見たことのない眼には新鮮だった。青い麦をゆらし渡ってくる風は青い匂いがするようで、ラジオから流れてきた「ざわわ~ざわわ~ざわわ~ひろいさとうきびばたけは~」というメロディーと重なって忘れられない風景となった。

これにはオチがある。あるとき私が風流のつもりで麦畑のアカザを摘んでいたら、下宿のおばあちゃんがおかずをくれたことがあった。その時はなんとも思わなかったが、あとで思うとおばあちゃんは「お金がなくて草まで食べている」と思ってくださったのだと笑ってしまった。

8年前たまたまそばを通ったが当然ながら私の青春は跡形もなく消えていた。

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Wパンチ

P5190717    2008年5月22日(木)

      けふのうた

五月晴れなれど心は五月闇 蕨採れしがひとつの救い

昨日は朝から株がドーンと下がって楽しくないのでこんないい天気には気分転換と、今年初めて浅間山のふもとに蕨採りに出かけた。

ところが悪いことは重なるもので・・・いつも車を置く薮にいくと今年はいつもより草が伸びている。ちょっと気にはなったがバックしていくと「バキッ」という音。なんと右後部タイヤの下には草刈機。「えーっ何でこんなところに~?」

辺りを見回しても人影はなく仕方ないのでメモでも置くしかないとエコール(公民館)まで下ってメモを書き草刈機のそばに置いた。少し行くとおじさんが一輪車を押してくる。何か知っているかもしれないと思って尋ねるとなんと持ち主だった。まずは会えてよかった。

午後ささやかなお詫びをもって正式に謝罪に行った。幸い取っ手が片方折れただけだったが、自分では修理できなかったので部品があるかどうかお店に聞くというのでしばらくはその連絡待ち。帰りにその薮で蕨をひとつかみ採ってきた。もしかしたら高~い蕨になるかも。

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恋の季節

P5160678   2008年5月21日(水)

     けふのうた

バリトンとテノールありて競ひあふ鴉も今は恋する季節

蕨採りの帰路、新幹線の側道を歩いていると鴉がにぎやかだ。10年前新幹線が通って林が伐られ多くの鴉がねぐらを失った。夕方になると残った林に集まってきて空が黒く見えるほどだ。当然鳴き声も大音量。

しかし新幹線で一番影響を受けたのは実は鴉たちなのだ。それを思うとむげに非難できない気がする。

そんな鴉だが昼間甘えたような声で鳴いている。よく聴くとあたりまえながらいろいろな声がある。高く通る声、低く太い声、中にはだみ声のようなものも・・・。

そしてそれらは掛け合うように鳴いている。きっと愛の言葉をささやいているのだろう。春は生きとし生けるものすべてが恋をする季節。鴉と恋?彼らには悪いけど一番遠い気がするなあ。

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花筏

P5180695     

    2008年5月20日(火)

 ハナイカダ          けふのうた 

花筏は森の舟人吹きわたる若葉の風の波にゆらゆら

山の畑に植え物の手伝いに行った。さわやかな風に新緑がまぶしい。

事前に夫が大変な畝作りをしてくれていたので、私はじゃがいもの芽を欠き、菊と豆苗を植えて水をやればおしまい。予定よりも早く終わったので、小川の土手で柔らかそうな山三つ葉を摘んだ。

帰路毎年蕨を摘む土手に行くと先客の人影。あ~一足遅かった。でも山はありがたい。必ず見落としがあるもので結構採れた。

最後は野蒜のある秘密の場所へ。ところが木が成長して日陰になり去年の野蒜は姿を消していた。さらに行くとほっ、日当たりのよいところで野蒜は私を待っていた。それも驚くほどほど大きくなって。そこは土が軟らかく深く根を張る野蒜でもスッと抜けて心もスーッ!

恒例の山菜採りだが今年は相次ぐ食品の値上げラッシュでまた違った意味をもつ。趣味と実益を兼ねた私の春の行楽。

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ブログ4ヶ月

P5160680    2008年5月19日(月)

       けふのうた

冬は去り春も過ぎゆき夏は来ぬひと日休まずブログ綴れば

早い早い。時間はなんて早く過ぎるんだろう。寒中に始めたねこやしきは夏にたどり着いた。この4ヶ月が一番季節の変化が激しい時だった。

毎年同じように巡る季節なのに今年は小さな芽生えや蕾の膨らむのをいつもよりわくわくしながら眺めた。掲載する写真を撮る必要があったからだが、少しは心の目も養われたのだろうか。ふしぎに今年の若葉はひとしお美しく感じる。「末期の目で見ると世はすべて美しい」とか・・・?

毎日欠かさず訪問してくださる方、時々まとめて読んでくださる方とさまざまだが一人ひとりの方に心から感謝する。しかも偶然でも毎日新しく「ねこやしき」を訪問してくれる人がいるなんて・・・休まず書いているご褒美と自分で勝手に思っている。

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秘密基地

P5160676    2008年5月18日(日)

      けふのうた

童謡の夕焼け小焼けそのままに童の吾は遊んでゐたり

久しぶりの青空と心地よい風に吹かれて歩いているといつもそばを通る林の中になにやら見慣れぬものがある。細い木を何本も寄せ集めてある。何だろうかと入って行くとなにやら秘密の小屋らしい。きっと子供たちが作ったものだろう。なんだかうれしくなった。

私も子供のころ秘密基地と称して木の枝や丈の高い草を寄せ集めて小部屋を作っては遊んだことを思い出した。

私は同じ地区の8人の同級生の中で唯一の3月生まれ。四月生まれの子が多く家も離れていたので小さい頃は同級生とは遊ばずもっぱら近所のひとつ下の女の子二人と遊んだ。

夏草が生い茂った空き地の草を踏んで道を作りかくれんぼしているうちに草のシルエットがくっきり浮かんでいつしか夕暮れていた。林の秘密基地はそんな子供時代の夏の夕暮れを思い出させてくれた。

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父の電話

P5080628    2008年5月17日(土)

       けふのうた

こんなにも似ているものか若き日は無性に反発せし父に

朝8時前に鳴る電話は父からだ。第一声は「おはよう」でも「元気か」でもなく「どうだ?」。取りようによっては「元気にやっているか?」だが実は「株はうまくいっているか?」という意味だ。

夜中もBSでアメリカの市場を見ている父は朝イチで新しい情報をくれるが、たいていあまり役に立たない。それは私の判断力の問題なのだが・・・。

父の興味関心は民謡と米作り(魚沼コシヒカリ)と資産運用。米作りを息子に任せてからはもっぱら資産運用に絞られた。家族はいい加減聞き飽きて誰も興味を示さないので、父のDNAをより強く引き株に手を出した私に時折電話してくる。

私は用がなければこちらから電話することはない。そんな無愛想で不器用なところは完全に父譲りだ。それでもそんな娘を「まったく親不孝なヤツだ」とも父は思わないはずだ。父と私はこんなにも淡々とした関係だが実に似たもの親子だと今更ながら思う。

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合唱

P5080627   2008年5月16日(金)

     けふのうた

大好きな君の心に寄り添ひて今宵もひとりフロオケに酔ふ

先日群馬大学OGOB合唱団から楽譜が送られてきた。この秋のステージで歌う曲だ。この合唱団は2000年に立ち上げられ、その後2006年に2回目がそれ以降は2年ごとに行われることになった。今年は3回目。昨年は中間年で夏に妙高で合宿が行われた。

私は入学と同時にギター部とユースホステル同好会に入ったが、聞こえてくる歌声に惹かれ2年から合唱団に参加した。それまで合唱の経験はなかったが歌うことは大好きだったのでまったく違和感はなかった。ソプラノなのでメロディーが覚えやすいこともあったのだろう。

一人で歌う時よりもハーモニーを感じながら歌う喜びは数倍増す。心を寄せお互いを感じながら歌うと恋をしているみたいだ。合唱には自己顕示欲の強い人は向かない。みんなと調和して一つのものを作っていくわけだから。その観点からいくと私はむかない部類に入るなか?・・・でも「歌うことが好き」という絶対条件は満たしているからいいか。

また気の合った仲間と青春に還って歌えるのを楽しみにお風呂で個人レッスンに励もうっと。

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自然災害

P5030590    2008年5月15日(木)

      けふのうた

五月雨の寒き朝(あした)に想ひをり家なき人のいかに在りやと

ミャンマーのサイクロン、中国の四川大地震とこのところ立て続けに大きな自然災害が発生した。いつものことながら大自然の前の人間のひ弱さを思い知らされる。

ふるさと魚沼も中越、中越沖と二度にわたって地震に見舞われた。今も生活に大きな負担を抱えながら暮らしている人達が少なからずいる。

その時に感じたことだが、TVなどで報道される被災者のなんと謙虚なことか。声高に自分たちの不遇を訴えることもせず、救援の人たちが恐縮するほどに感謝の言葉を述べている老人の姿に涙が出る思いだった。

雪深い地での暮らしは雪のない地方に比べてさまざまな面で苦労が多い。しかし雪は自然と人間の力関係を教え自然の前に人を謙虚にさせる。そして春という希望を持つことによって人は耐え抜き、その中で他を思いやり助け合う心を育んできた。神様は不公平ではない。

    義援金受け入れ先

    口座番号 00110-2-5606

    日本赤十字社

通信欄に 「ミャンマー サイクロン」または「中国大地震」と記入 6/10まで

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同窓会

P5080625    2008年5月14日(水)

      けふのうた

湯に浸かり心もほぐれ語り合ふ悲しみいつしか和らぐやうに

昨日は温泉に行ってきた。毎年春と秋顔を合わせる3人組だ。お母さんくらいのおば様二人と私。6年前まで一緒にフォークダンスをしていた仲間で、ちょうど同じ頃やめたので同窓会のように年2回温泉に行くようになった。

私が母のように甘えさてもらっているKさんは3年半前にご主人を、つい3ヶ月前に娘さんを亡くされた。いつもにこやかにやさしく包んでくれるKさんだが、ご主人を亡くされたときは長い看病のあとだっただけに、告別式の痛々しいほどにやつれた姿には胸を衝かれた。ようやく悲しみから立ち直って元気になったところに娘さんの病気と永遠の別れ、かける言葉がなかった。

久しぶりに会うKさんがどんな様子なのか内心心配しながら出かけた。やせて一回り小さくなってはいたが一足先に着いて出迎えてくれたいつもの笑顔にほっと胸をなでおろした。

それから積もる話に肝心の温泉に入ることも忘れ話し続けた。ようやく話も一段落して3人でゆったりと湯に浸かり、また秋の再開を約束して別れを告げた。

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ウワミズザクラ

P5120656    2008年5月13日(火)

       けふのうた

駆け足に高原の春は過ぎゆきて若葉に映ゆる うわみずざくら

黄色から始まる春はピンク、赤、紫、青、そして白となって夏へと続く。

このウワミズザクラはあるときから気にかかる花になった。桜の喧騒のあとひっそりと咲く山桜よりさらに控えめに咲く桜である。ブラシのような形から桜とは思えないがひとつひとつの花はれっきとした桜である。写真は我が家の裏の小さな林にあるものだ。

探検隊で熊が長い冬眠から覚めてこのさくらんぼを食べると聞いた。高い木だったが登った爪あとが残っていた。熊さんが木のまたに腰掛けて紅い小さなさくらんぼを食べているのを想像すると楽しくなる。

いま浅間高原は若葉の淡緑に白い花が満開。梅雨の前の一番さわやかな季節だ。緑の風に吹かれに来ませんか?

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こども自然探検隊

P5100650   2008年5月12日(月)

     けふのうた

森ありて生き物ありて人間(ひと)あると子らは知るらむ野山を歩き

10日(土)に「こども自然探検隊」で軽井沢野鳥の森に行ってきた。この活動は御代田町で20年以上の歴史があり文部大臣表彰も受けた。私も10年前から委員として参加している。

一時は朝の5時から申し込みする人が並んだというほど過熱したこともあったが今はブームは去り低学年の参加が多くなっている。

例年第1回目は浅間山の石尊山登山なのだが低学年が多いということで今年は軽井沢星野温泉の野鳥の森で鳥の観察となった。

ここには「ピッキオ」(イタリア語でキツツキ)という自然保護活動をしているNPO法人があり、申し込めば有料でスタッフがガイドをしてくれる。軽井沢はようやく若葉が芽吹き夏の渡り鳥が結婚子育ての真っ最中だ。

あいにく朝から雨だったが歩き出した頃には小降りになり、キセキレイ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、ヒガラ、オオルリなどがさえずりとともに姿を見せてくれた。

子供たちはガイドのやなぎんさんのお話に熱心に耳を傾け、オタマジャクシをすくったりツキノワグマの冬眠中の硬いウンコ(止め糞)に触らせてもらったりして目を輝かせていた。

クライマックスは道沿いの高い木にかけてある巣箱に棲むムササビ(写真)に遭えたこと。子供たちもさることながら私も大感激。寒かったけどわくわくドキドキの一日だった。

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ぜんまい

P5060058    2008年5月11日(日)

      けふのうた

ふるさとを離れし月日語るがに林ぜんまい太くなりたり

山際にある実家からは5分も歩けば山菜採りができる。子供の頃この季節は朝ごはん前にウドやぜんまいを採るのが日課のようなものだった。

今回久しぶりに山に入った。子供のころに植えられた杉が立派になって山の様子も変わっていた。ぜんまいも日当たりのよい斜面に出るものと林に出るものとではビミョウに異なっていて、以前はそういいものは出なかったのだが、年月がたち今では太いものが出るようになっていた。

残念なことに採りに行くのが少し遅くて最初に出たものはどなたか採った後だった。次々に出るのでそれはいいのだが採りごろだったはずのぜんまいが「もう一日早く来てくれたらよかったのに・・・」という風情だった。もちろんそれも採ってあげた。

ぜんまいは山菜の中で食べるまでに一番手がかかる。茹でてアクを取り、綿をとって干す。干しながら何回となく揉みやわらかくしながら完全に乾燥させる。ここまですればいつでも食べられるが、食べる時はまた水に戻し茹でてあくを抜き煮物やご飯にする。母のぜんまいご飯は絶品だった。

山菜を求め野山を歩き回る習性は母のDNAだ。今日は母のいない6回目の「母の日」。

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I Love You

P5060031   2008年5月10日(土)

     けふのうた

韓流に女同士は盛り上がる母なき実家今も心地よし

昨年帰省した時、実家のトイレの壁にはハングルの数字表が張ってあった。義妹が韓流スター「ソン スンホン」の大ファンでハングルを熱心に勉強しているからだ。かくいう私もヨン様ファンなので結構話しが合う。

彼女は行動的で去年の夏は韓国まで行って「宿命」という彼の映画ロケを見て来たほどだ。今年も間もなく埼玉アリーナでのファンミーティングに出かけるとか。ファン同士で仲のよい友達もいてメールやグッズのやり取りを楽しんでいる。

今回トイレの壁には「I Love You」が張ってあった。乏しいハングルの知識で訳してみるとどうも私の知っている尾崎豊の「I Love You」の歌詞ではないようだ。彼女にそういうとやはり尾崎の曲だった。ハングル訳なので元の歌詞とは少し変わっているらしい。

それからトイレに入るたびにしばらくハングルを読み続け何とかぼんやり意味が分かりかけた。帰るときおみやげにとトイレの「I Love You」をいただきメールで歌も届いていた。これからじっくり全曲の歌詞を訳すつもりだ。これもお・べ・ん・きょう。

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山桜かな

P5060036        2008年5月9日(金)

             けふのうた

初雪や 小堀小堀にぜいが張り 下のドジョウたちゃ ギヤマンの天井が張ったようで さぞうれしかろ 山桜かな

これは時々我が家(実家)で話題になる歌だ。作者ははっきりしないが山ひとつ隔てた五十沢の人らしい。素人のこんな歌が伝えられ残っているところが面白い。

「ぜい」とは薄氷のこと。初雪が降って薄氷の張った小川の様子をドジョウの目で詠んでいるところが面白い。短歌にしてはかなり大胆な字余りだが、作者は言いたいことをみんな言わなくては気がすまなかったのだろう。最後の「山桜かな」で必ず大爆笑となる。それがまたこの歌を今も生き続けさせている。

初冬の歌なのに突然の山桜に意表を突かれ笑いとなるのだが、作者は初雪を被った木々を山桜に擬しているのだ。ドジョウたちには見えないのだから詠まなくてもいいのだが、自分の見ている初雪の美しさをどうしても入れなければ気がすまなかったのだろう。

「気取らず詠いたいことを詠う」歌を詠む端くれに大事なことを教えてくれる歌でもある。しかし何度読んでも笑ってしまう。読者のみなさんも最後に声を出してもう一度。

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八海山(はっかいさん)

P5040617_3    2008年5月8日(木)

   けふのうた

はるか遠く佐渡・アルプスを見渡せり八海山はわが母のごと

八海山の麓に生まれたものは移りゆく季節の中、朝な夕なその姿を仰ぎ見てはいつしか心のよりどころとして成長する。

標高1778メートル、それほど高い山ではないが霊峰といわれ山岳信仰の対象でもある。遭難者が出るような厳しい一面もあるが修験道の山伏たちの先導によって八海講の年配の信者たちも登る。わたしも小学校6年と25歳の時に登った。

八海という名前は八つの峰から、あるいは八つの小さな池からとも言われている。強風がさっと霧を払った瞬間、目に飛び込んできた左右の絶壁。一歩一歩足を置く岩を確かめながら鎖にしがみついて八ツ峰を渡った時の緊張感は今も忘れない。

今回は山の左肩にかけたロープウェイで1100メートルほどのところまで行った。お天気に恵まれ360度の視界の先には遠くアルプスや佐渡の島影もぼんやり見える。

山頂に残る雪と尾根の木々の芽吹き。淡い緑の中に点在する辛夷の白、三つ葉つつじのピンク。下り終点駅に近づけば一面に広がるカタクリの花絨毯・・・八海山はいま春の喜びに満ちている。

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ここをのぶるな!

P5030611     2008年5月7日(水)

     けふのうた

境内の欅・桂は覚えゐむ幼き吾の語りしことば

たまに実家に帰ると話題はどうしても昔のことになる。若いころにはまったく興味のなかった家の歴史や親戚関係など・・・やはり年をとったと思う。今回は今までよく分からなかった遠い親戚の関係がはっきり分かった。そういうことを紐解きながら自分の生い立ちや性格を分析するのも面白い。

今日のタイトル「ここをのぶるな!」お分かりだろうか?標準語訳をすると「ここを踏むな!」となる。これは私が1年生になったばかりの頃、花を植えた庭の立看板に書いたらしい。

実際にはもっと長い文句で「ここをのぶるな。ここに はながうえてあるから。1ねん1くみ なみきあやこ」だという。今回初めて全文が分かりひとしきり盛り上がった。

もっと小さく背中に負ぶわれている頃のわたしは「こっぺつげな子」と言われたそうだ。よくいえば「頭の回転がよさそうな子」というほめ言葉だが「子供らしいかわいらしさがない」という気分もビミョウに添えられている。

「三つ子の魂百まで」?

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オリンピックロード

P5040620        2008年5月6日(火)

             けふのうた

濃き淡き新緑の谷に沿ひ走る故郷へ続くオリンピックロード

菜の花畑を後にして走る千曲川沿いの景色もすばらしい。真ん中をゆったりと千曲川が流れその両岸には芽吹いたばかりの緑のグラデーションの山々が続く。

この道は10年前の長野オリンピックの距離競技の会場となった野沢温泉村へ選手や観客を運ぶために作られた。それまでは反対側の飯山線の線路沿いの狭い道しかなく、対向車が来るといつもひやひやしながらしながら通ったものだった。

ところが一歩新潟県に入った途端とてつもなく広い道となり、同じ国道なのにどうしてこんなに違うの?と首を傾げる政治の偏重を実感する道だった。

長野オリンピックのおかげで新幹線が通り高速道もでき長野県の交通事情はかなり改善された。その後の田中県政への急激な流れ、経済の停滞も含め、よくもわるくもオリンピックは長野に大きな足跡を残した。

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菜の花の道

P5020557   2008年5月5日(月)

     けふのうた

ふるさとへ誘ふ千曲の川の辺はひときは明かし菜の花畑

今日からしばらくは2日から4日までのふるさと南魚沼(旧六日町)での連休の話題。

2日の午後はまだ4連休前だったので車は少なく、1時間ごとに休みながらゆったりと3時間半のドライブを楽しんだ。

豊田飯山インターで高速を降りると国道117号線へ。飯山市に入ると沿道には菜の花が揺れている。その道をさらに千曲川沿いに走ると河川敷は一面黄色に染まる。例年に比べて今年は菜の花畑が格段に広がっている。そのせいか今年はどうしてもそのまま通り過ぎることができず「道の駅」に車を置いて写真を撮った。

沿道、河川敷からさらに遠く川向こうの小高い丘には霞んだ黄色の絨毯が広がり、あと2,3時間ここにいたら唱歌「おぼろ月夜」の世界に浸れるのに・・・と思いを残しながら再びハンドルを握った。

飯山地方は「信州」というより「信濃」というのがふさわしい。かつての茅葺屋根の形をそのまま残した赤や青のトタン葺の屋根が新緑にアクセントのように点在し郷愁を誘う。学生の頃はじめて夏の合唱合宿で訪れたのもこの辺りの戸狩だった。そういう意味でも私には思い出深い地だ。

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言霊の国

P5010549      

    2008年5月4日(日)

シャガの花        けふのうた   

恋に生きし和泉羨み忍ぶ恋謳ひあげたる式子憧る

短歌に触れたのはやはり国語の授業。我が家のお正月は百人一首をするような優雅な雰囲気ではなかったので、ある意味では新鮮な出会いだったかもしれない。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」かすかな季節の変化を敏感に捉える日本人の感覚のすばらしさと言葉のリズムが心地よかった。

長じて教科書には載らないような激しい恋の歌と出会い、知的な恋のテクニックとしての、また想いを伝える手段としての歌の魅力を知った。百万遍の繰言よりもただ一首の歌のほうが強いインパクトを与える。凝縮された言葉の力を感じる。 

わが国はかつて「言霊の国」といわれ言葉には霊力があると信じ大切にしてきた。忌み言葉はその名残だ。しかしいつのまにか霊力は失せ思いを伝える力も衰え、やがて干からびた言葉が人の心を傷つける時代となった。

こういう時代だからこそ子供たちに温かい言葉、美しい言葉に触れてもらいたい。言葉を大切にするということは心を大切にするということ、ひいては人間を大切にすることにつながると思うから。

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コロちゃん

P5010547      2008年5月3日(土)

        けふのうた

雨の日も風の日もともに歩きたる犬を思へば胸熱くなる

このブログ「ねこやしき」は我が家の状態から名づけた。今は猫だけだが3年前までは犬のコロちゃんがいた。

平成元年から17年まで本当に子供のようだった。途中から猫のさくらがその2年後はなぴーが、さらに翌年たんちゃんたち3人が加わって立て続けに交通事故にあったので、生活の中心が猫たちになって少し寂しい晩年にしてしまったことは今でも胸が痛む。

うちの子達はみんな突然やってくるのだがコロちゃんもそうだった。近所の子供が学校に迷い込んだ犬を家に連れて帰ったが飼えないといわれ我が家に連れてきたのだ。

「ダメ」と言うのは子供にも犬にもかわいそうな気がして「置いていきなさい」といってしまった。何の心の準備もなかったのだがこれも縁だったのだろう。

コロちゃんは素直で愛想がよくみんなにかわいがってもらった。人(犬)見知りする犬がコロちゃんのところにだけはよく来た。犬が苦手だという人もコロちゃんに触れるようになってから犬が怖くなくなったという。実に包容力のある子だった。

最後の冬は居間でみんなと一緒にいて夫の手厚い看護を受け、5月28日の晩私のピアノを聴きながら静かに息を引き取った。翌日かわいがってくれた人に立ち会ってもらい庭の一番いい場所に葬った。そこには今たくさんのチューリップが咲いている。

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噺家に?

P4290525    2008年5月2日(金)

      けふのうた

左手に鏡を持つは習慣になれど覗かぬこれも習慣

数年来通い続けた歯医者さんから「一応終了、次は半年後」といわれた。この2,3年は歯磨きの指導と歯の掃除が中心で毎月一回通った。

この歯医者さんとは偶然が重なって出会ったのだが、もし出会わなかったら今頃は噺(歯なし)家?

初めての診察で「このままだとあと数年もつかどうか・・・」脅かし半分でもぞっとした。「歯茎は甘やかしてはいけない、少しくらい痛めつけても大丈夫、まずは歯茎を鍛えてから」と厳しい歯磨き指導だった。簡単とはいえ手術もしてしばらくは大変だったが、それまでずっと通っていた歯科医院はそれほど厳しい指導ではなかったので、先生によってずいぶん違うものだと思った。

歯磨きの継続指導になってからは歯を削ったり痛いことはないので衛生士さんとのおしゃべり?も楽しかった。

人(私)は楽な方へ楽な方へと流されやすい。月に一度通っているときは少しくらい手を抜いても「もうすぐ歯医者さんに行くからいいや」ですんだが、半年後となると・・・?わが怠け心との戦いだ。

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風薫る

P4290527    

    2008年5月1日(木)

 白樺の花              けふのうた  

風薫る五月となりぬ野に出でてわれも緑の風になりたし

今日から五月。ようやく訪れた春をゆっくり味わう間もなく浅間高原はさわやかな風とともに一気に初夏の装いとなる。

こちらにきた20年ほど前は5月の連休を終えて帰ってくるとようやく落葉松が芽吹きだす感じだったが,最近は連休前から落葉松林がうっすら緑色になっている。温暖化がはっきりと実感され素直には喜べない。

といって便利な生活は一度味わうと後戻りはよほどの覚悟がないとなかなか難しい。昨日の朝日新聞で紹介されていたペルシャのことわざに「枝の先に腰をかけて、その枝の根元を切る愚か者」というのがあるという。人間が当たり前と思っている森林や海や生物によるさまざまな地球からの無償の「生態系サービス」が危うい状態に陥っていることと重なる。

こうなると人間寿命が延びることも素直には喜べないというちょっと暗い展望になるが、私たちが欲望を少し抑える暮らし方を心がけるだけでも地球の負担をいくらか、いや大いに軽減できるのではないだろうか。

さて何からやればいいかな?と考えてみたら何かをしないという消極的行動パターンだって十分意味があるように思えてきた。私にはこれが合っているかな?

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