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秀一ちゃん

Bl_17    2008年6月30日(月)

     けふのうた

 夏の陽の煌きおどる魚野川菅笠越しの愛し眼差し

「母校からの便り」に戸田秀一先生に関するコメントをいただいた。先生なくしてわが高校生活は語れない。

秀一ちゃん(みんなそう呼ぶ)は1年と3年の担任だった。入学当時は36,7歳だったかと思う。人懐っこい優しい笑顔にひと目で好きになった。スキー部の顧問でかっこよかったが青い髭剃り跡に菅笠かぶってバイク通勤というユニークなところもあった。

地理の授業もまたユニーク。外国に行って女性の脚ばかり撮ってきたスライドを見せられた覚えがある。あれは何の授業だったのだろう?板書もユニークで書き写すのが大変だったなあ。

雪国では鉄道が止まると休校になるがバスは無関係。1年生の初冬のある朝いくら待ってもバスが来ない。仕方なく雪道を学校まで歩いた。2時間くらい歩いただろうか。当然遅刻したがそのとき先生があの笑顔でとても褒めてくださった。うれしかったなあ。

2年は7組になり残念ながら続けて担任というわけにはいかなかったが秀一ちゃんは8組の担任。毎朝教室の横の廊下で姿が見られ、時折声をかけられるととてもうれしかった。今思えばあれは淡い恋心だったのかもしれない。

3年生では再び担任で楽しい毎日だった。ホームルームでは一人づつ何かをしゃべらなければならなかったが広い世界に出ても物怖じしないようにとの配慮だったのだろう。

私の受験科目が地理だったのは秀一ちゃんの影響大だ。受験のとき「これを2回もやっておけば絶対大丈夫だ!」と分厚いと参考書と問題集を下さった。その言葉を信じて2回やった。信ずるものは救われる?そのおかげで引っかかったのかも。

卒業してからは夏になると「鮎が釣れたから食いに来い」と便りを下さった。なかなか結婚しない私を心配して婿探しもしてくださったらしいが・・・結婚した年の秋先生は亡くなられた。今でも魚野川に釣り人を見ると「秀一ちゃ~ん」と呼んでみたくなる。

★写真は魚野川の鮎つり風景

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コメント

 本当に素敵な先生とめぐり会えて良かったですね。私は一度も授業を教わる機会がありませんでしたが、結構話しかけて頂いた様な記憶が残っています。特に、あの笑顔はどんなに年月が過ぎても、決して忘れません。
 私が思い出す高校時代の一番の思い出は、ねこおばさんの様な素敵な事ではありません。それは英語の授業中に発した、女教師の言葉が今でも頭から離れません。「みなさん、もっと勉強しないとあの道路工事で働いている人と同じになりますよ。」その時の先生の見下した言い方が堪らなく、悲しかった事を覚えています。英語の出来が悪かったのは、その先生に被けています。でも、大学卒業してから今まで道路工事に係る仕事をしています。その先生が言ったとおりになってしまった。


魚沼太郎さんへ
教師も弱い人間。むしろ悲しいほどに一面的な人もいます。それを切なく受け止め今も覚えている太郎さんはすばらしいということじゃないですか。ある意味でこの先生も教育者かもしれません。(ねこおばさん)

投稿: 魚沼 太郎 | 2008年6月30日 (月) 22時52分

魚沼太郎さんへ
その英語の先生は、たぶん・・想像つきます。
私にもよい印象はありませんね。
多感な時期には、声・話し方・笑顔などで言葉の内容とは違うものを感じ取ることがあります。 
この教師の発言を魚沼太郎さんと同じようにとらえていた人もクラスには複数いたことと思います。 
なんの為に勉強するのかという目的からは外れていますが、世間では同様の考えの人に遭遇します。
私は察知すると同時に逃げ、絶対付き合わないと決めてる~  
私が嫌う人は、相手も私が嫌いだろうと決め込んでいる身勝手な私です。

投稿: コスモス | 2008年7月 1日 (火) 23時19分

こんばんは。
私は、秀一の娘です。時折、父の事を思い出して頂いているようですね。ありがとうございます。

<お返事>
ご訪問ありがとうございます。
確か私が高1のときにお生まれだったですね。
名前が一字違いでうれしかった記憶があります。(ねこおばさん)

投稿: | 2011年9月 3日 (土) 21時13分

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