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2009年3月

蕗味噌

      2009年3月31日(火)

        けふのうた

亡き母の思い出の味 蕗味噌を魚沼米で食べる幸せ

3月も今日でおしまい。

今年の3月はあわただしさの中であっという間に過ぎた。

父の手術の付き添いで昼夜逆転生活だった前半、全体では高速道を移動していた印象の1ヶ月だった。

今までは長野道から飯山十日町経由で帰ることがほとんどだったがが、今回はすべて関越道だったので梅から辛夷まで季節の移り変わりを楽しませてもらった。

今回は久しぶりに母の実家にも顔を出した。

私は母の実家の初孫なのでとてもかわいがられたそうだが罰当たりにもあまり記憶がない。

父の性格を引いた私は物心つくと母の実家に行ってもすぐに帰りたがって祖父母を切ながらせたという。

そんな私なので大きくなるとほとんど顔を出さず今回も3、4年ぶりかな?近くにいながらこれまた久しぶりの弟といっしょに訪ねた。

人寄せの好きな伯父は私たち が行くと大喜びで話が弾み気がつけば夜中の11時。

慌てておいとましたが、おみやげにと伯母がたくさんのフキノトウを持たせてくれた。

昨日はさっそく蕗味噌作り。

普通の味噌味、ゴマ味噌味、浅葱とフキノトウ味噌の3種類作った。

ふるさとの早春の味は母の味だ。

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娘床屋

        2009年3月30日(月)

          けふのうた

駆け足におとづれ来たる春の音消さむとばかり降りしきる雪

昨日はミスでブログのアップが遅くなりほとんど今日と同時になってしまった。

ということで話題もきのうの続き。

父の退院も近いらしいので土曜の午後から最後のつもりで見舞いに行った。

病室に行くとちょうど弟夫婦が来ていたが父の姿はない。

お風呂だというので義妹と両方で用意した洋服を見せ合っているところに父が戻ってきた。

お風呂上りの上に入院して約2ヶ月の髪はかなり伸びてぼさぼさ状態でビックリ。

弟夫婦は少しして帰っていったが私は夕食前までいて、退院のことを話し合った。

父は区切りよく31日に退院するつもりらしかったが、傷はともかくも様子を見るとまだまだ体力が回復していないようだ。

頬がこけ、顔中目ばかりという感じ。

これでは帰っても寒暖の差のある家ではすぐに風邪を引いて下手をすると肺炎なんて事もありうるので、退院はもう少し延ばしたほうがいいと提案した。

翌日いくと点滴姿。

自分からお願いしたという。点滴すると元気になると信じているようだ。

顔を見るとひげもそっていない。

「ただでさえみすぼらしいんだから髭くらいそりなさいよ」

きつい言葉も実の娘だからか素直に聞く。

まだ入院が続くのなら髪もこのままというわけにもいかない。

すぐに近くのホームセンターで散髪用の鋏と櫛を買ってきてチャチャッと切った。

普段夫の髪を切っているのでお茶の子さいさいだが、鋏代が4000円じゃ床屋に行ったほうがよかったかも知れない。

だが出来栄えはともかく初めての娘の床屋もいいものだろう。

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男寡

      2009年3月29日(日)

        けふのうた

派手好きの父に合はせて春向きの明るき色のシャツを選べり

父からもうすぐ退院という電話があったので実家に確認の電話をした。

義妹が出てあれこれ話すうちに退院のときの服を用意しなければという話になった。

母が逝って7年、最初の頃はたまに「何かいる?」と聞くと「あるからいい」という返事。

毎日証券会社に行っているのだから、必要なものは自分で買うだろうと、こちらも次第に関心がなくなっていた。

ところが、今回の入院騒動で父の生活ぶりを知りアングリ。

自分の物を自分で洗濯するのはいいが、その仕方と回数が問題。

汗をかかないと下着なども毎日は変えないらしい。

気に入ったものはずっと着るらしい。

新しいものは買わないが古いものも捨てないので一応着るものはあるらしいが・・・

ということで今回の入院で一新することにした。

さしあたってこれから着るものを私もいくつか用意した。

義妹も用意してくれるので退院するときは少しはパリッとするだろう。

女寡にゃ花が咲き、男寡にゃウジがわく

とは昔の人はよく言ったものだ。

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父の電話

      2009年3月28日(土)

         けふのうた

ぶっきらぼうな父の電話もうれしかりやうやく元気になりし証と

父もだいぶ元気になったらしくおととい電話をくれた。

無駄なお金を使わない主義の父らしく公衆電話に10円玉を入れて掛けたようであっという間に切れた。

今でも10円で3分間掛けられると思っているんじゃないの?

その第一声が傑作だ。

私「もしもし○○ですが」

父「ああ、おれだ。今日は売るなよ

私「あっ、おとうさん、退院したの?」

父「イヤ、病院だ。これからは上がりそうだからな

ツーツーツー、10円がなくなったらしい。

受話器を置くとすぐにまたかかってきた。

父「今月いっぱいで退院できそうだ」

私「この土曜日にいくからね」

父「そうか」

ツーツーツー。

3回目は掛かってこなかった。

ご推察どおり、上がりそうなのは株。

必要最小限のお金で必要なことは伝わった。

これが父の電話。

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ネコ好き

        2009年3月27日(金)

          けふのうた

冬空のごとき青さにもやもやの心晴れゆく弥生の朝(あした)

今月はネコのワクチン接種の月。

ふたりで〆て12600円也(ρ_;)

キャリーバッグがひとつしかないので2日に分けていった。

めったにほかの人と会わない病院だが、2日目におにいちゃんを連れて行ったときには珍しく先客が二人。

なんだかホッとした。

隣はネコちゃんらしいがタオルがかかっていて顔が見えない。

話を聞くと15歳のネコちゃんで腎臓が悪く、もう週単位で考えなくてはいけないのだという。

「でも長生きですね」というと

ほかにも19歳のネコ2匹を含めて12匹のネコの世話をしていると聞いてビックリ。

19歳は人間で言えば92歳。まだ元気で食欲旺盛なんだとか。

飼い主の奥さんは

「わたしはリハビリに行きながら猫の世話していますのよ」とおっしゃる。

かわいそうな猫たちを拾ってはお世話しているらしい。

頭が下がる・・・m(_ _)m

ネコ好きとイヌ好きは同じ動物好きでもビミョーに性格が違う気がする。

野良猫はいっぱいいるからどうしても見捨てられず保護してしまう。

ネコ好きは非情になれない性格かな?

イヌ好きだって・・・と反論が聞こえそうだが。

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WBCに思う

       2009年3月26日(木)

         けふのうた

降りしきる春の淡雪舞ひ乱れ折れそうなわが心にも積む

一昨日のWBCの優勝場面は何度見てもいい。

きのうも何回となく見た。

ずっと不調だったイチローの最後の決定打はハラハラとドキドキをいっぺんに吹き飛ばしてくれた。

あのイチローですら、というかイチローだから、プレッシャーは想像を絶するものだっただろう。

辛くて、苦しくて、痛くて・・・

とずっと不調だった自分を分析する言葉にイチローの苦悩が伺える。

イチローは一匹狼的な感じがするが、そんな彼だから仲間の支えのありがたさを今回は強く感じたのだろう。それこそがチーム競技の真骨頂だろう。

イチローの不調と村田の怪我が日本チームを固く結びつけ、2連覇という偉業を達成できたのだろう。

私は昔からスポーツは個人プレーの競技しかしてこなかった。

誰かのせいでみんなが責任を問われるとか、なんでも一緒というのが性に合わなかった。

そんなわたしに一人よりたくさんのほうが楽しいことを教えてくれたのは

        合   唱

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ため息

        2009年3月25日(水)

          けふのうた

隣り合ふ梅・沈丁花競ふがに風に放てり甘き春の香

春は生きとし生ける物の恋の季節。

ということでオバサンも甘い言葉の一つもかけていただきたいが、

世の殿方にとってオバサンは女の範疇から除外されているらし。

日本は若いとか初物好きの伝統のせいか年を重ねた女の魅力は重視されない?

このところ世の中愛だ恋だなどと浮いた気持ちにはなれないような昨今だが、

こんなときこそ優しい言葉を掛け合おうではないか・・・

といいながらこれを自分に当てはめるとなかなか辛いものがある。

なぜかこのところ自分の心をもてあましている。

上下する気分をコントロールできない。

1日のうちで夕方の気分の落ち込みが大きいのだが、夫が帰ってくるとなおいけない。

「おかえり~」が限界。

夫のひと言ひと言に敏感に反応して息が詰まりそう。

文句タレにならないようにひたすら口をつぐむ。

だから優しい言葉なんて・・・フーε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

気分を変えて

  サムライ JAPAN 

  優勝おめでとう。

このところチト元気がない日本の男たちだけど、

やる時にはやってくれるねえ!!

  よっ! 日 本 男 児

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おばさんのヌード

        2009年3月24日(火)

          けふのうた

いつ何時何があるやら何となく不安になるが中年なるか

室内で転倒して骨折から寝たきりへ・・・

なんていうと80過ぎのおばあちゃんの話かい?

いえいえ私のお話。

今朝もお尻が痛い。

入浴中、椅子に座って体を洗っていたら、どういう弾みか椅子が前に滑ってそのまま床に尻餅をつき、仰向けに倒れたはずみに壁に頭をぶつけた。

う~~~ん

と、うなったまましばらくその姿勢。

イッタ~~イ!!

と声に出しても居間で寝ている夫には届かず。

仕方なく恐る恐る体を起こしてみると何とか起きれた。

狭い浴室なので床に頭をぶつけないで済んだが、脳震盪を起こして救急車なんてことになったら・・・・

50半ばの痩せこけたオバサンのヌードなんて

いろんな患者を見慣れた救急隊員でも御免こうむりたい!?

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ブー君との闘い

         2009年3月23日(月)

           けふのうた

親鳥の餌を待つ雛のごとくなり水仙の蕾ぷくと膨らみ

以前の野良猫「たぬさん」は「ブーくん」(不細工のブー)と名前が変わって、今も夫との攻防戦が続いている。

我が家のネコたちと友達になりたいのか、はたまたうちの子になりたいのか、日に何回となく顔を出し、朝になると猫の出入り口の窓に

   参上!!

とばかりにオシッコのあと。

たまりかねた夫は「ブーよけ」と称して、ベランダの階段、ネコ階段を夜になると板で塞いだ。

直後の数日は窓にオシッコがなく夫はホクホク顔だったが、まもなくしっかりとかけられていた。

ネコだもの、ジャンプすれば少しくらい高い塀なんてヘッチャラさ。

  第1ラウンド、ブー君の勝ちーっ!

悔しがる夫は新たな作戦に出た。

ベランダに来るのは仕方ないと一歩譲歩したが

「窓にオシッコをかけるのだけは許さない」とタオルで防御作戦。

それもたった1日で破られ、タオルをはさんだ二重窓の外側の窓まで開けられる始末。

    ブー君2連勝ーッ!

そのうち夫は「ブー」と呼び捨てにしていたのがいつの間にか

「ブー君」なんて言っているではないか。

我が家のネコになるのもそう遠くないかも?

ただし、おにいちゃんとはなぴーが許せばだけどね。

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沈丁花とオバサン

       2009年3月22日(日)

         けふのうた

春の宵角を曲がれば匂いくる沈丁花の香に若き日の顕つ

昨日もよい天気で沈丁花がひらいた。花の塊の中の一つでも完全に開くとすばらしく匂う。木全体が咲いたら、角を曲がれば匂いくる・・・というほどになるわけだ。

昨日の土曜日は今年になって初めての不燃物を出しに処分場に行った。

私は目の前からゴミがなくなるともう処分できたつもりになるが地下室はゴミの山になっていた。

それを片付けようというのは夫。すぐに持っていけるようにしておいてくれるのももちろん夫。

私は助手席に乗って入り口で手続きするだけ。

一人になったら生きてゆけない?

まあそんなことはないだろうが・・・

待っている間にふと横を見ると手書きの看板の字が間違っている。

そのことを言うと夫いわく

「お前は人の揚げ足取りばっかりだなあ」

間違っていることを指摘するって揚げ足取り?(そういうときもあるけど・・・)

まあいつも文句言われているのでこのときとばかり報復に出たというところだろう。

ところで、最近読んだ田辺聖子の短編に胸を衝かれた。出てくる文句タレのおばさんが私ソックリ。

オバサンの亭主は気の合うやさしい彼女と暮らしてはいるが文句タレの奥さんともなぜか離婚できずにいるという中年の機微を描いたお話。

以前読んだときにはそんなふうに思わなかったのになあ・・・???

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早春の庭

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       2009年3月21日(土)

         けふのうた

春風の吹き渡る朝庭隅にカタクリつぼみをもたげてをりぬ

我が家の庭もようやくにぎやかになってきた。

春一番の福寿草は葉が大きく広がって終りに近づき、代わりにクロッカスが満開。

植えたつもりもないところにぽつんと花を咲かせていたりすると思わず声をかけてしまう。

水仙も蕾が出てきた。

チューリップも顔を出した。

蝋梅、黄梅、サンシュユと木の花もやはり早いものは黄色。

黄色は春の色ね。

もうすぐ紅白梅もたくさん開くだろう。

梅は色と香りを楽しませてくれるが春の香りといえば何といっても沈丁花。

だが膨らんではきてもなかなか慎重で、顔を近づけてようやくかすかにそれらしき香りがする程度。

春の夕闇にその存在を誇示するほどになるのはもう少し待たなくては。

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春告鳥

          2009年3月20日(金)

            けふのうた

早春のまどろみに聴くデデポッポーいま少しこのままにいさせて

春の朝は眼が覚めた時点でだいたいの天気が分る。

雨の日は雨音で、晴れた日は鳥のさえずりで。

とくにデデッポッポーの声を聞くと

ああ、春だなあ・・・と実感する。

マスコミではもっぱらさくらの開花に話題が移っているが高原の春はようやく足音が大きくなってきたところ。

庭の小松菜はこのところの暖かさでぐんぐん伸びてほうっておいたら菜の花になりそう。

2,3日前に気の早い白梅が2輪、幹にくっつくように咲いているのを見つけたが、昨日の異常な暖かさで紅梅も開いた。

今日はお彼岸の中日、これからはどんどんと昼間が長くなる。

   春眠不覚暁  処々聞啼鳥

である。

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バースデーランチ

         2009年3月19日(木)

            けふのうた

前面の窓いっぱいの浅間山かそか霞みて春は来たりぬ

昨日はお友達と1週間遅れのバースデーをした。彼女の誕生日は10日、私は13日。

一人暮らしの彼女とは久しぶりのお出かけだ。

にぎやかな音楽が苦手な彼女だったが入ったイタリアンレストランはラテン調のBGM。

なるべくスピーカーから遠い席ということでカウンターに着くと目の前の全面ガラスの向こうは裾野まで見える浅間山で気分爽快。

ピザセットとパスタセットを取って分け合う。

私には少し塩気が強かったが窯焼きピザは美味しかった。

なかなか神経の細かい彼女と大雑把な私の愚痴とも相談ともつかないよもやま話に花が咲きあっという間に時間が過ぎた。

午前中にささやかな株の利益が出たので今回は私のおごり。

もう少し粘って(これができない)売ればもっと豪華なランチになったのに・・・・

でも、まっ、いっか!

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こぼれ話 その2

      2009年3月18日(水)

        けふのうた

残る人逝く人ありて生と死を深く思ひぬ弥生   生れ月

父の看病の間1年近く意識がない叔父を見舞った。帰る間際、臨終間近という報のあったもう一人の叔父が昨夜亡くなった。

そういう年代になったのだとしみじみ思う。

幸いに父の病気は回復に向かっているがいつかは必ず死に向かう看病をしなければならない。

母は生前の宣言どおり家族の手を煩わせることなくICUからさっと旅立った。

家族にとってはあまりにあっけない最期だったが今にして思えば母らしい潔い終り方だと感心する。

あんなふうに私も逝きたいが母ほど濃く生きていない私はきっとじたばたしてそうはいかないだろうなあ。

父は手術前に

「俺はもう十分生きた。いつ逝ってもいい」

と口癖のように言っていたが、術後少し元気になると

「人間そうあっさりと逝けるもんじゃない」

と、言うことがコロコロ変わるいつもの父に戻っていた。

それも元気になった証拠だが、聞いているだけで気分が落ち込むようなあの話し方は手術でも治らなかったなあ。

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看護こぼれ話 その1

       2009年3月17日(火)

         けふのうた

あんなにも力仕事に励みしにいずこに消えし父の筋肉

わずか2週間の看護生活だったがいくつか面白いことがあった。

まずは看護第1日目のハプニング。

インター出口で料金を払おうとするといつものところに入場券がない。

確かに置いたはず、隙間にでも落ちているのだろうと覗くけど・・・ない

えーっ!パニクっていると係りの人が親切に

「いま、幸い空いていますからバックしてゆっくり捜してください」といってくれたので急いでバックすると突然のクラクション。

近頃高速の逆走車が問題になっているが料金所の逆走なんてめったにないだろうから後続車もビックリだったろう。ごめんなさい。

幸い入場券は隙間に落ちていた。そこも見たはずだが慌てていると見れども見えず状態になってしまう。料金を払うとき

「もし見つからなかったらどうするんですか?」と訊くと

「一番遠い九州からの料金をいただきます」との答え。

ヒェーッ!!それからは絶対安全な運転席の日除けの裏と決めた。

でも、もうすぐETC車は休日一律1000円になるというから私も早く付けなくちゃ。

無事病院に着くとちょうど翌日の手術前に入浴というところだった。

看護婦さんにしてもらうことになっていたが私がしようかと聞くと父はそのほうがいいという。

すでに3週間ベッドにいた父はただでさえ細い脚やお尻の筋肉が落ち見るも哀れな裸体だった。今まで全裸の父を見るという経験がなかったので軽いショックを受けた。

年を取るということ、病気になるということの残酷さを実感しつつ、父の体の隅から隅まで丁寧に洗ってあげた。

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母の言葉

         2009年3月16日(月)

            けふのうた

順調に回復しつつある父の昔語りに相槌を打つ

昨日夕方約2週間の父の看護を終えて帰ってきました。

まだしばらく入院治療は続きますが12日以降は個室を出て泊まりの必要もなくなったので看護もずっと楽になりました。

こんなに父に密着した時間はきっと生まれて初めてでしょう。

父は昔の日本の男で早世した長男のつぎの大事な跡継ぎとして育てられたのでかなりの自己チュー。

仕事以外はすべて母任せ。それなのに母に同じように農作業をさせ、母が早く亡くなったのはそれが原因だと私たち子供は大いに反発心を持っていました。

そんな父が弱くなっても素直な気持ちで看護できるのかと私自身自信がありませんでした。

しかし、いくら不満があるとはいえ目の前で苦しむ姿を看過できるほど私も強くありません。それでもいっぺんにわだかまりが消えたわけでもないという複雑微妙な心持でした。

これが切ることのできない肉親の感情というものでしょうか。

父がいるとなんとなく重い空気が漂うという家なので、その反動かみんなハイテンション。冗談が飛び交い笑い声が響くというある種の特異状態でした。

私もあんなに笑ったのは独身の頃の気楽な時代以来?

昨日は夫が見舞いに来てそのまま一緒に帰って現実に戻ったとたん私は無口になっていました。そういえば母が以前言っていました。

「お父さんとよく似た人と結婚したもんだ」と。

その時は意味がよく分りませんでしたが今となっては大いにナットク。

やはり母は偉大でした。

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筋トレ2ヶ月報告

      2009年3月14日(土)

        けふのうた

信ずるものは救われる信じて励まば効果もあらむ

11日に定期検査があった。

真面目に取り組んだ筋トレ2ヶ月の成果やいかにとひそかに期するところがあった。

その日は久しぶりに仲のよいおば様と3人、美味しいおそばのランチのあと私は病院へ。

血液を採ったらまたおば様のうちにいったん帰ることになっていたが待合室には患者が少ないので予定より早いんじゃないかとそのままいた。

ところが予定時間をはるかにすぎ患者も数人になっているのに一向に呼ばれない。

1時間半たってようやく中待合に入るとほかの診察室の前には誰もいないのに私の前にはまだ数人いる。

更に30分ほど待ち診察室に入ると

「お待たせしましたね~」という先生の言葉に、思わず

「お待ちしましたあ~」

さて肝心の結果は?

筋トレの成果はそれなりにあったらしくここ半年続いていた7台のヘモグロビン値はやっと6台に下がった。

だが血糖値と中性脂肪は相変わらず上限の2倍、善玉コレステロールも相も変わらぬ低空飛行。

1勝1敗の引き分け

ってところかな?

「筋トレに励んだんですけど・・・」

という私の言葉に先生はそっけなく

「筋トレってあんまり効果ないんですよね。むしろゆっくり長く歩いたほうがいいんですよ」

って、じゃあヘモグロビン値が下がったのって筋トレのおかげじゃなかったの?

それでもまあ、ほかの効果はあったんだから今年いっぱいは続けよう。

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バースデープレゼント

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          2009年3月13日(金)

              けふのうた

ぎこちなく差し出されたるペンダントわが胸元に鈍く光れり

今日は54回目の誕生日。

なんだか中途半端な年でもうさしたる感動もないけど・・・

今年の誕生日は13日の金曜日。

さらに父のそばで誕生日を迎えるなんて何十年ぶり?

11日の夜、一足早く夫からの恒例の?バースデープレゼントがあった。

シックな琥珀?のペンダント。いつものようにタイ出張の際用意しておいてくれたらしい。

「こういう経済状況なのでしばらくは出張もないだろうからプレゼントもこれが最後かもしれないよ」という言葉を添えて。

何もタイでなくても日本のでもいいのにね・・・

と夫に輪をかけてひねた妻は思うが出張費を浮かせて買ってくれたんだろうなあとありがたくいただいた。

あれで自分のセンスにはかなり自信のある夫が一人で女物の装飾品を選んでいる姿を想像するとなんとも不思議な感じだ。

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インフォームドコンセント その2

     2009年3月12日(木)

        けふのうた

様々な計測器音の響く中父の寝息に耳を澄ませり

3月6日、父は再切開手術となった。腹腔内の出血が止まらず輸血にまでなったのでその原因を探り処置を行うことになった。

ようやく苦しい時期を乗り越えたのにまた同じ時間を過ごさなければならないかと思うとかわいそうだったが現実を見ればそれも止むを得ない。

施術した大学病院の医師の都合に合わせて急遽6日金曜日の10時半からとなった。

今度の麻酔時の気道確保は医師の手でとお願いした。

12時頃呼ばれたので前回のような医師の説明かと思ったら上着と帽子をつけて手術室に入るようにと言う。

何か重大なことでも起こっているのかと恐る恐る入るとすぐに手術台の父の切開したままの腹部が目に飛び込んできた。

「踏み台に上がって見てください」という医師の言葉に弟が上がった。

「2.3箇所焼きましたが大きな出血の箇所はありません」と医師は内臓を掻き分けながら説明した。

こんなことはめったにないと私も見せてもらった。金銭欲の強い?父だが腹の中はきれいなものだった。

後で考えるとあれは何の意味があったのだろうと思う。

結局出血はその焼いた箇所からだったのだろうからその処置をすればわざわざ家族に見せる必要もないはずなのだ。

あれは究極のダメ押しインフォームドコンセント?

術後しばらく主治医は顔をあわすたび両手を合わせて「ごめんね」と言ってくれるが「手術ミス」と言う意味の言葉は聞かない。

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インフォームドコンセント その1

         2009年3月11日(水)

          けふのうた

覚むるたび時間を尋ね夜明けまでまだまだ長いと言ひて目を閉づ

3月3日、手術まであと1時間という頃、麻酔医がやってきた。傍らにはユニフォーム姿の男性がいた。

彼は救急救命士だという。

医師は父に麻酔をかけたあと彼に気道確保の訓練をさせてほしいということだった。

あまりに突然のことで返事に困っていると医師は強い口調でひとしきり、それまでの新潟県の救急救命士の訓練の遅れを語りぜひお願いしたいという。

「趣旨は理解したがなぜ今まで何の説明もなく突然1時間前なのか」というわれわれの質問に更に興奮気味に

「すでに院内に貼った文書で周知しているから見る見ないはそちらの都合だ。事前にいっても聞かなかったということをいわれるかもしれない。もし不満があれば投書してもらってもいいが反対の意見は受け付けない。私はこの方針を変えるつもりはない。」

といってお願いの文書と承諾書を置いて出て行った。

文書の最後には

「もし承諾いただけなくても今回の手術には何の支障もありません」との1文が添えられていたが・・・。

私たちのやり取りを不安げに見ていた父には、救急救命士は国家試験をパスした優秀な人で彼は今まで20回やってみんなうまくいったこと、これからみんなの役に立つことなんだと説明した。

父は黙って承諾書にサインしたが私たちはそのやり方と医師の人格を疑うほどの激烈な言葉によるインフォームドコンセントに不信感が募った。

ただ、興奮して語る医師に比して冷静沈着な面持ちの救急救命士の姿は救いだった。

幸いにして父は無事に帰ってきた。

あとで院内の掲示物をよく見たら、黄ばんだ紙に患者各位とだけ書かれたタイトルもないそれらしき文書が高いところに貼ってあった。あれで周知と言えるのだろうか。

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ごぶさた

       2009年3月10日(火)

         けふのうた

病み痩せし全裸の父をくまもなく洗ひてやりぬ術前の夕

1週間のご無沙汰「ねこやしき」の再開です。

お休みの間も訪問いただき感謝です。

こうしてPCに向かっているとあの緊張の時間がウソのよう。

父を最後にわが親子4人は開腹・開胸・内視鏡と全員手術を受けました。

これも珍しいんじゃないかしら?威張ることでもないか・・・ただのポンコツ親子ということですね。

この1週間はある意味興味深い時間でした。(詳しくは後ほど)

父は術後3日で再手術を受けました。2度目は本来なら必要がないはずの手術だったのですが・・・

しかしそれをしなくてはならない状況になってしまいました。

医師も人間であるということです。

その時点で最善を尽くしてくれてもどこかに見落としがあったのでしょうね。あってほしくはないけれどそれも受け入れざるを得ないということです。

気の毒なのはしなくてもよい2度目の苦痛を味わった父です。

しかし悪いことばかりではありませんでした。

なんとなくぎこちなかった親子の間が少しは近づいたようで、ひねくれものの私が素直に父に接することができてほっとしています。

これも年を重ねた結果でしょうか。

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お休み

       2009年3月2日(月)

         けふのうた

ささやかな親孝行のまねごとをせむとて向かふ雪のふるさと

今日で少しの間「ねこやしき」をお休みします。

手術をする父の付き添いです。

気のきかない娘ですから大して役にも立たないでしょうが、それでもいないよりはましでしょう。

親不孝娘のささやかな親孝行?

ひな祭りの夜は手術を終えた父とはじめて二人で過ごします。

留守の間、夫はいいとして、甘えん坊のおにいちゃんと淋しがりやのはなぴーがとっても気がかり。

今まで何日も家の中で二人きりで過ごしたことがないもので。

ストレスであまりよくない関係がさらに悪化するかも・・・

まあそれも仕方ない。一応人間優先ってことで許してもらって・・・。

ねこやしきは1週間くらいで再開する予定です。

それまでしばらく、さようなら。

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夫のお一人様生活

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           2009年3月1日(日)

                 けふのうた

けふからは弥生三月生まれ月心にも咲け桃・梅・桜

三月は私の生まれ月。

春を実感できる月だ。

今日はピアノリレーコンサートの日だが、辞退したのでぽっかり空いてしまった。

明日から父の付き添いに行くので何かと準備しなくてはいけない。

一番は留守の間の夫の食事の用意。

こういうとき料理できない夫は困り者だ。

夫の名誉のために、できないといっても何にもできないわけではない。ご飯と味噌汁、目玉焼き、納豆かき混ぜくらいはできる。

子供のころから出されたものに文句を言わないように育てられたようで、それはそれで楽なのだが、食べることに執着心がない。

ほかのことにはいたって細かいのに、食事に関しては大雑把。よって一人だと粗食となりやすい。

1食や2食どうってことはないが1週間ともなるとねえ。

仕事から帰ってスーパーに行くなんて期待できないし・・・

よって何品かは用意しておかなくてはいけない。

だが多少は不便でも小うるさい妻のいない生活というのもまたいいものだろう。

15年前の私の入院以来、こんなに長いお一人様生活は初めてだもの。

「いつまでいてもいいよ」

とは

「ずっと帰ってこなくてもいいよ」

という意味もビミョーに含まれているのかも??

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