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こぼれ話 その2

      2009年3月18日(水)

        けふのうた

残る人逝く人ありて生と死を深く思ひぬ弥生   生れ月

父の看病の間1年近く意識がない叔父を見舞った。帰る間際、臨終間近という報のあったもう一人の叔父が昨夜亡くなった。

そういう年代になったのだとしみじみ思う。

幸いに父の病気は回復に向かっているがいつかは必ず死に向かう看病をしなければならない。

母は生前の宣言どおり家族の手を煩わせることなくICUからさっと旅立った。

家族にとってはあまりにあっけない最期だったが今にして思えば母らしい潔い終り方だと感心する。

あんなふうに私も逝きたいが母ほど濃く生きていない私はきっとじたばたしてそうはいかないだろうなあ。

父は手術前に

「俺はもう十分生きた。いつ逝ってもいい」

と口癖のように言っていたが、術後少し元気になると

「人間そうあっさりと逝けるもんじゃない」

と、言うことがコロコロ変わるいつもの父に戻っていた。

それも元気になった証拠だが、聞いているだけで気分が落ち込むようなあの話し方は手術でも治らなかったなあ。

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コメント

日本人の3大死因と言われているもののうちで、最期に自分がなるなら「がん」と決めています。

他の2つは、自分ではどうにもコントロールできない部分がありますが、ガンには自分の意思を働かせる余地があると思います。

のぞみさんへ
もう決めていますか。エライ!
誕生(受精)は自分の意志の届かざるところで決定される気がするからせめて最期くらいは?(ねこおばさん)

  
  
  

投稿: のぞみ | 2009年3月18日 (水) 11時38分

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